嘔吐と自由

 

    

 今年だけの異常気象なのだろうか。

竜巻の恐ろしさが日本にも定着していくのではと

思うと、我が家にもいつでも危険性はある。

アメリカの広大な大地でハリケーンが発生して

民家を巻き上げているシーンはみたことがあるけれど、

日本の狭くて家が密集している所は大丈夫だろうと

思っていたけど、そうではなかった。

昨日、コナミに行くと、お風呂の中で、声高に喋っている

人がいた。

人身事故で、電車が停まっていると言う話なのだ。

彼女曰く

「飛び降り自殺なんて、迷惑な事するのは、人に見て欲しいのよ。

 海にでも飛び込めば良いのに、迷惑かけたいのよ。」

飛び散った肉体の話までしている所を見ると、その場に遭遇したの

かのしれないが、私の耳に否応なく入ってくる言葉に吐き気がする。

 自殺する人が、誰かに見て欲しいなんて、そんな余裕はないはずだ。

それは映像の世界だけだ。

 苦しみから逃れたい、追い詰められた究極の選択なのだけど、自分がどうなってるのかも判断出来ない状態にまで、追い込まれた人の突発的な行動なのだ。

 そういう状態を、話のタネにして、笑っている人がいることへの嫌悪感、津波にさらわれた多くの命のことを思うと、無神経だ。

それに同調して、笑っている人がいる。

 日本は、最早安全な国とは言えなくなった。

毎日のように、殺人事件のニュースがテレビで流れている。

夕方の、朝のニュースで、ワイドショーで、取り上げられ、無神経に報道されている。

 大人よりもずっと繊細で心の傷を受けやすい子供達に、どのような影響を及ぼしている

のだろうか。

 アメリカでも、フランスでも、このような事件は取り上げられもしないほど日常的だ。

まだ、日本では事件として話題に上るのだから、まだ少ないと言えるかもしれない。

そのうちに、あまりに多くなって、忘れ去られる日も来るだろう。

そうなれば、自由の国として成熟するのだろうか。