今日を生きる

   

      

       

  

 小松左京の「日本沈没」私はまだ読んでいないが、沈没の可能性がなきにしも

あらずと思わせるような、東北地方の地震と大津波による自然災害と、福島原発の人為的災害による、大気も海もの汚染。

 温度の上昇によるのか、自然環境の循環を破壊して来たつけなのか、日本全土に、局地的な大雨をもたらし、土砂崩れによる家の崩壊、作物の絶滅状態、火山の噴火、などなど、

 相次いで起こる、驚異的な災害の前に、私達はなすすべもなく、それを受け入れざるを得ない。

 政治に関心を持つ余裕はなくなり、救済の手を差し伸べる力もなくなっている人達が

増えていく一方のような気がしてならない。

 そういう風景を、傍観者としてみている私も、いつ自分にも、そういうことがあっても

不思議ではない。

 憂鬱が日本を覆っている。

そこに拍車をかけるような、歌手の飛び降り自殺の話題で、テレビ局はネタを得た魚のように、連日の報道。

 長く精神を病んでいた。人を信用できなくて、いつも大金をバッグに入れても持ち歩いていたという。

強迫神経症だったのではないだろうか、と思う。

正常だと思っている人間に、精神の病はいつ襲って来るか誰も想像できないことで、

事実だけが、証明になる。

ついこの間、親友の勘三郎を送った、三津五郎に、定期健診で、膵臓腫瘍が発見された。

歌舞伎フアンは、え?と驚き、「なんで、上の方ばかり」と言葉を詰まらせる。

他人ごとのように思って生きてる私達。

いつ自分の身に起こっても不思議ではないことだということが、わかるはずなのに、

わかろうとしない、したくない、拒絶する心を頼りに生きている。

そういう中で、さだまさしの長崎から東北への応援メッセージという、5時間に渡る

コンサートがあった。

引退を考えていた,さだまさしは、もう自分でなくても良いのじゃないか、と考えていたという。震災地にかけつけ、現地の人々に触れて、「今日限りの命を生きよう。」と思うようになった。一日を燃焼する。求めてくれる人がいれば、そこに行き、折れそうになっている人がいれば、元気づけてあげたい。

その応援は、原爆の地、そして故郷から、遠くから届けたかった、とさだまさしは語っていた。

そうなのだ。

明日、死んでいるかもしれない命。それが現実だ、と受け止めて、今日生きていることを

もっと大切にして、喜ばねばならない。

パリで、戦争と向き合い、朝から晩まで、平和の祈りを描き続けた、吉田さんは、毎朝、仏壇に手を合わせ、お経を唱えておられた。

 朝、生かされていることへの感謝と、自分の生き様の至らなさ、戦争で亡くなった人達への慰労、吉田さんに関わる人達の幸福と、世界の人々が戦争のない平和を生きることを

神様にお願いすると言われた。

 その頃、私は、他人事のように聴いていたのだが、先日、NHKで「ゼロ戦、かかわった人達から」という3時間に及ぶドキュメンタリーを見てから、吉田さんが、飛行機に憧れた少年だったこと、それが悲劇的な末路を辿らざるを得なかった、戦争という狂喜人間性を失っていく過程、生き残った人間の、死んで行った人への申し訳なさ、戦後、深い傷を負って生きていかねばならなかった人達への、責め。

 

 心の深い部分で、吉田さんを知ることができるような気がした。

 日本沈没が、現実のものであろうとも、今日だけはこうして生きて、笑っていられる

ことを感謝しなければいけない。

たとえ、人の為にならなくても良い。だいそれた考えなど持たなくて良い。

今日、生きて行くことが出来たら、上出来。