雨上がり

    

  雨上がり、コナミに行こうかと思ったけど、今日は家にいることにした。

昨日から、膝が痛みだした。

人間、ちょっとしたことで意気消沈してしまう。

 雑誌に載ってる、サントリーグルコサミンを飲んでみようかと思う。

 体重を落とすほうが先決だろう、という心の声が。

祖父の口癖は、「腹八文目に医者知らず」であった。

 私が市場から帰ってくると、祖父は「何か旨いもの買ってきたんでっか?」と言って

買い物かごの中身を見にやってくる。

 祖父の好物は、市場で売っているあげたての鯨カツだ。加えて肉屋で揚げたてのコロッケ。どちらも年寄にはヘビーなもの。

 それでも、祖父は、栄養に敏感で、母によく「まんべんなく食べなあきまへん。」と言って、何種類もの食材がテーブルに出なくてはいけなかった。

 それらを、「もうこれくらいでやめておきまます。」と言ってはしを置くのも潔かった。

 腹八分目、にこだわった祖父であったが、身体はいたって弱い方だった。

 孫たちの一人は、医者にしたかったと言うくらい、医者とは縁の切れない人で、

 晩年は、入院と退院を繰り返していた。腸閉塞を起こして入院、手術。

腎臓の機能が悪く、尿毒症。あとの病気は、覚えていないが、私が家を出てからの、母の奮闘は大変なものだったらしい。

 プライドの高い祖父は、おしめをはぎ取って、トイレに行こうとする。廊下を消毒して拭きまわる日々。

 祖父は、正月明けの病院に、血液検査をしてもらいに行って、階段で転んでそのまま入院した。

それが最期の入院になった。

下の世話をやりつくした母は、決して子供達には、という思いがあった。

母の妹である叔母も、ぼけの舅を最後まで世話した嫁の一人だ。筆舌に語りつくせない

ものだ、と言いながら、おどけた調子で、話してくれた。

子供中心の、教育熱心な叔母は、子供自慢だったから、母は知らなかった。

最愛の息子は、毎週のように叔母に会いに来ていると思っていた。

毎日のように、叔母は、母に電話をかけてきていた。

ある朝、叔母は、炬燵の中で、一人で亡くなっていた。

「寂しいわね。人間って、寂しいものね。」叔母のそれが口癖だった。

何が良くて、何が悪いのやら、答えは出ないのが、人生。

死んでしまえば皆同じ、帳尻はあっている、と言うけれど、

私は、そうは思えない。

生きた過程、人間が七転八倒したドラマを、誰もが独自のものとして持っている。

どう生きるか、それは、その人の生き方がそうさせるもので、他には例のないもの。