台風一過、アメリカ旋風は過ぎ去り、家は再び落ち着きを取り戻したかの、ように見えるが、隙間風がどこかにまだ残っていて、肌寒い感じが残っている。
一人暮らしに慣れるまで、少し時間がかかりそう。
一応、親の役目というほどの大げさなことではないが、息子のお嫁さんを私の家族に紹介し終わって、ほっとしている。
結婚式も披露宴も苦手な息子なので、なんにもしないつもりでいたけれど、食事会を開くことで、代役を済ませた。
普段着の和やかな集いだったが、フランス料理だけは、披露宴式にふさわしい、申し分のないものだったので、集まってもらった人達の誰もから、満足感の賛辞をいただいた。
1週間足らずの短い間だったけれど、充実して、濃密な時間が持てたことを、歓びながら、アメリカに旅立っていった。
母は、孫の名前が忘れているけれど、記憶の底で覚えているのか、息子を前にして、フランス料理をほとんど残さずに食べてくれた。席を立って帰ろうとはしなかった。
時折、息子の顔を見ては、恥ずかしそうに、嬉しそうに笑っていた。
息子たちがアメリカに立つ日の朝、荷物を積み込んで、母に会いに行くと、母は、息子の手を握って、「可愛い人」と何度も繰り返していた。
買った炊飯器
この人誰?といっても、「わからない」としか答えないのに、私が、アメリカに行くのよ、と言った一言が、母の心に火をつけてしまって、危ないからついて行く、と言い出して、
何度も「外国に行くの?どうして行くの?」と心配していたが、玄関口でいつものように、別れるつもりでいたら、車に乗せようとしても、なかなか乗ってくれない母が、いち早く乗り込んでしまった。
荷物を積んでいるので、母の座るスペースはなく、全員館内に戻るからと、やっとの思いで母に車からでてもらって、職員が、昼食時のダイニングに入れた。
母の気持ちをそらそうとして職員たちが、努力している様子。母はそれでも、「外国に行って、死んでしまったっらどうするの?:と声を大きくしているのが聞こえる。
息子は、心残りで、後ろ髪を引かれる思いで、去りがたかった。
息子達が、空港バスに乗ってから、私は母の様子を見に行くと、母は落ち着いていて、息子が来たことも忘れていた。
けれど、「外国に行くと危ないわ。殺されてしまうわ。」という意識だけはいつまで記憶に残っている。
可愛い人に、行ってほしくない、いつまでも一緒にいたい、という思いが心の底にいつも留まって消えることはないのだろう