今回の旅行は最悪の部類に入れてもよい。
疲れすぎて、どうにもならない。
宿がいけない。コメントで高得点だから撰んだのだが、失敗。
9陣半を過ぎると、鍵ナンバーでは入るのだが、暗くて,番号が見えない。
お風呂の電気は、1分のしないうちに切れて暗くなる,そのたびに身体を電球の下にかざしさないと電気がつかなない。いい加減にしろ、といいたくなる。
朝食は8時から。それまでは靜かに、とのことで、それなら、トイレくらいは部屋にないと、鍵の音がするので、トイレに行くのもはばかられる。
早く行動したい人は、朝食抜き。
このホテルが良と言っている人は、キッチンで自炊して,節約している人建だろう。
中国人らしき、男連れ。一杯買い込んで,何人いるのか、何日いるのか、と不思議。
調理して、庭にろうそくに火をともして,夕食。
身体中が匂っているから、バスは使っていないようだ。
私はといえば、昨夜は疲れすぎて、このキッチンで持って来た,カップうどんと,飛行機の中でもらったにぎりですませた。
ファドを聴きに来たのだけど、眠たくて,疲れすぎて、とても。
今朝は,朝食のパンは美味しかった。ブログを書くのに時間かかって、11時まえに宿を出た。
市電のある所まで歩き、カテドラルを見て、聖アントワーヌ教会をみた。13日の生誕記念のお祭りにための準備で、放送局の人達が作業していた。
そこから、世界遺産に指定されている、サン、ジョルジュ城に。
どこもかしこも、石畳ばかりで、足の疲れようが半端じゃない。回りに気を取られていると、足下が危ない。
カテドラルのアーカイブと宝物観のデュオチケット買った。考古学の好きな人なら、興味深いだろう。12世紀に作られたのは、発掘された跡地に残っていて,カテドラルそのものは、15世紀から17世紀頃のものらしい。
宝物を見るのに、階段を上がるので、カテドラルのように、長い階段だといやだな、と思ったら、たいしたことなかった。ポルトガルの親切は、階段の上がり場に,必ず休むようにベンチが置いている。それも少しの階段事に。広い階段だから、そうできるのだけど。 宝物は宗教にかかわるものばかり。
聖杯や クルス、司祭の上着などに、銀製品など。
リスボンはタイルが至る所に使われているが、このカテドラルの中にも素晴らしい模様と色のタイルが。
会議室の壁にも。
聖アントワーヌ教会の方は、花を捧げて祈る人建。白いお花を活けている婦人がいる。この聖人は、ここで生まれたので、地下の生まれた場所を見ることが出来る。
そこでも祈る人達は、良縁の望んでいる若い女性が多い。
13日に結婚式をあげるカップルが沢山いるそうだ。
ここから、カステルに行こうと、城前でト停まるバスを待っていたが、いっこうに来ない。すると、28番の電車の前に、城のマークを貼っているのにきがついた。
それに乗って、カストロに行くかと聞くと、運転手は、イエスと。
なんてことはない。すぐ上の停留所で、降りろと指定された。
そこは,733番のバスを待って,一向に来ない場所だった。
そこから降りて、カテドラルまで戻る阪道を,杖を付きながら上がってくる老人夫婦が、城への道は?と聞くので、私は733のバスは、城前で停まりますよ、なんて教えてあげたんだけど、その後、カテドラルの前でも来なかったので、28番に乗ったら、さっき待っていた場所で降りることになった。
そこからは、登り座かを歩く。すると、途中で,733番の小さなバスが横道から出て来て、城の前で停まった。別の道を走っているのに、28番の停留所にも表示があって、来るのか、と思って待つだろう。
城壁の回りから,リスボンが四方八方に見渡せる。長めが素晴らしい。
さっきの停留所の側も展望台があって、眺めのスポットになっている。
城の中に,美味しそうなレストランがあって、アメリカンの団体が出て来た。
値段は、ランチの最低で25ユーロ。一品は25ユーロから30ユーロ以上の高級そうな店。入ろうかと思ったが、やめた。
城から出て歩いていると、ワインの店があっって、覗いていると,店主の女性が入るように促す。
そこはワインの販売と、ワインに合う食料品を売る店で、鰯とコッド、鱈の3種の料理が食べられる。
彼女は、パナソニックに勤めていたとか。
ハウスワイン3ユーロと、勧められた鰯を注文した。
試飲が出来る店で、彼女は、これを飲んで,無料です、といって白ワインを勧めてくれた。
若い,フレッシュな,白ワイン。全てポルトガル産で、緑の葡萄を使っている。口当たりの良い、さっぱりした味で美味しい。
注文した赤ワインも豊穣で香りの良いワイン。
鰯にトマトを挟んだパンに、たっぷりのオリーブをかけたサンド。少し辛いけど美味しい。三つ目になると、ちょっとという感じだ。赤ワインとも相性があまり良くない感じ。でも残さずに食べた。
彼女は親切にも、この界隈で美味し胃レストランがあるから、と生き方まで教えてくれた。そこは値段も高くなくて、とても美味しい店だという。
料理の指定ろワインまで。だけど、帰り道にそれらしい通りを探してもわからなかった。
ファドも、アルファ地区の方が良いという。たった一軒だけ、良い店が、バイロアルトにあるので、住所と名前を書いてくれた。絶対に予約をしていから、いかないとだめよ、と言って。
お腹も一杯、初めとのポルトガル料理は鰯。
そこから、酔っていて、スペイン広場にある、グルベンキアン美術館を目指した。本当はもう大分疲れていた。
地下鉄の駅を上がると、広い。出会った女性に,聞くと,道を教えてくれた。その方に歩いて行っても、見当たらない。宮殿のような建物の前で検問の係員らしい男の人が立っているので、聞くと向かいの緑の中だと言う。
通りを渡って、階段を歩くと、男性が入っていくので、そこに入ると、美術館は、まだその奥にあると教えられた。
この美術館は、イスタンブール生まれの、アルメニア人で石油王として財をなし、晩年はリスボンで暮らした人の収集品で出来たもので、ペルシャ絨毯た、ペルシャの陶器、トルコの陶器などが随分素晴らしいものが沢山ある。
日本の蒔絵もいくつかと、印籠のコレクションも。
絵画では、ミレーの,虹のかかって,プランタンの小作品と、モネの雪景色、それにモネの珍しい感じの黒を大胆に使ったもの。
モネ
ターナーの作品も2点。ドービニの作品が幾つか,好きだったのだろう。
調度品のコレクションも凄い。広い館内は、ワンフロワーで見られるようになっている。
相当疲れが出ている。しばらく閉館までソファーに座っていた。
それから、えいと立ち上がり、また地下鉄の駅まで歩く。足が痛む。
地下鉄の同じブルーラインの終点が、鉄道駅。そこで13日のポルト行きのチケットを買っておかねば。
駅のチケット売り場では、英語が話せるのは、インターナショナルを扱う一人だけ。
13日は、お祭りなので、午後までいたいので、午後4時の切符を買った。
ポルトで予約をいれたのは、アパートだから、あまり遅いと困る。
今のゲストハウスのようだとわかりにくいのに、アパートだと尚更だろう。
チケットを買って一安心。そこから、また,バイア,シアードの地下鉄駅まで行って、有名なエレベーターに乗りに行く。
エレベーターの前で並んで待っている人達にまじって待っていたら、なかなかエレベーターが降りて来ない。しびれをきらした,若い中国人のカップルは、あきらめて出ていった。私の後ろにいた中年のカップルは、女性が台湾人で男性は白人で夫婦だった。日本人かと聞いて、福岡と京都に行ったとか。
長い待ち時間の末に、彼らもうんざりして話しかけてきた様子。
福島の地震の話が出て、台湾人の女性は、政府の横柄さに腹を立てていた。
援助にたいして、なんの挨拶もなかったといって。
確かにそんなこと聞いたことあるなあ、と思い出した。今の首相なら、そんなことなかったでしょう、礼儀を大切にする人だから、と言った。
確か、その頃は、管さんだった。誰でも自分以外の人間の悪愚痴ばかり言って、自己弁護に走る人だから、さもありなん。
相当沢山の援助を真っ先にしてくれたのが、台湾だったと記憶している。
彼女は、民間は良かったけれど、政府が酷いと非難した。
今夜こど、バイロアルトのファドを聞きに行くと思っていたけれど、界隈を少し歩くと、どこも観光客相手の店のようで、しかも、お腹がとても食べられそうにない。
鰯のオリーブとワインが腹に残って,使えて、胃がおかしい。夕暮れのリスボンの景観が素晴らしいと書いているので、そこの行くと、曇っているので、夕日が見られない。
時間は,ファドが始まる9時を過ぎた。とても食べられないので、ホテルに帰ろう。
バスの行き先に、ラドと書いているので、それに乗れば良いのに、3停留所だから歩いても、それほどではないだろうと歩き出した。歩いている間に、バスが三台通り過ぎた。随分遠い感じ。足がよれよれになって、やっとホテルに辿りついた。
食べなければ良かった、と思いながら、どんべいの蕎麦に、お湯を入れて。
美味しくない。 それぞれに、夕食を作りにキッチンに立つ人達にとっては、このゲストハウスは,気に入りの宿なんだろうな。
ほとんどの客は,カップルだから、宿泊費も、私と変わらないで、もっと広い部屋に泊まっている。
私の部屋は、キッチンの裏側で,バスルームから最も遠い,一つだけ、コメントでぶつぶつ文句を言っていた、その小部屋だった。
夜中、お腹が痛くて起きた。時計は真夜中の二時半。日本なら朝。
それから、足がずきずきして、なかなか寝られなかった。
もう旅は終わってもおかしくない、疲れ方。
鰯オリーブで、もうポルトガル料理をみても、うえー、うえー。サッカーじゃないのよ。
昔、神戸のギリシャ料理の店で、ムスカのオリーブにあたった時ほどはひどくないけど。