ファッション感覚

 

     

 

 去年から、風邪を引かずに、頑張って来たが、昨日から、鼻風邪の模様。

アレルギー性の、鼻炎かも、とも疑われるが。

書類がテーブルに上に、山のようになっているので、それを整理し始めたので、

埃で鼻アレルギー出たのかもしれない。

散らかしっぱなしの家の中にいると、ストレスになる。

私は一人なのに、どうしてこう、すぐに散らかるのだろう。

気にならない時は、平気なので、そういう時は、毎日のように、出かける用事が

ある。服を着替えるのに、一応、どれを着ていくか、着たり、脱いだりり

どれも、ぱっとしないものばかり。

顔に似合わない。

若い頃は、どれを着ても、顔がその服に合わせたのけど。

電車の中で、後姿の素敵な人がいて、スタイルは抜群だし、背もすっと伸びて、洋服のセンスも良いので、若くて、素敵な人だろうと想像していたら、彼女の顔が、何かの拍子で、こちらに振り返った。

ジェ、ジェ。おったまげてしまった。

おばあさん。 

服と顔のギャップが大きいと、センス良いとは言えない。

本人は、魔法の鏡で、自分の姿に満足しているのだろうか。

ナルシスが、水辺に映る、美しい顔を見て、その美しさに魅せられたことから、ナルシストという言葉が生まれた。

鏡の前に立って、自身をあまりに劣等感で、見るのもいけないけれど、自分の実像が見えていないというのも困る。

 着たいものを着たらいいのだけれど、顔と衣服のギャップが大きいものは、着たくない。自然に似合っている人を見ると、 

 

 良いなあ、と感心する。個性がその服に現れている人も素敵。アーティストは、独自のファッション感覚がって、色に凝っている。目立つファッションが、その人のユニークな人柄を表しているのも素敵だ、と思う。

けれど、最近、時どき、顔と衣服のギャップがあまりにはなはだしい人を、時々見かける。

 ああいう風には、なりたくない、というのも、ナルシストなのかもしれないけれど。

ファッション感覚が優れた、友人がいる。

彼女は、主婦。

 常識的で、心も安定している人。小さな人なので、背が高く見えるように、高い位置にポイントを置くのよ、と聞いたことがある。

「私たちの着るものは、難しいのよ。」と言っていた。

 めだたないけれど、きらりと光る、行き届いたファッション。

その場に、溶けこんで、浮かないし、沈まない。

 ファッションにうるさい、男達が、一様に、彼女のファッションセンスをほめていた。

そういうことなんだ。

 人の振り見て、我がふり直せ、という言葉があるが、そういう着こなし上手になるには、

自分の弱点を客観的に見る目が必要で、試行錯誤の時間をかけて、積み上げられるもの

なんだ。

 先日、村上春樹が、京都大学で講演するのに、車から降りてくる姿があった。

野球帽のような帽子を、後ろ側にかぶって、チェックのシャツを着ていた。

 このファッション、どこにでもいる、目立たないファッション、

 神宮での、野球観戦をするのも、きっとこのかっこうだろう。

 村上春樹だと、誰もわからない。

 普通の人間だから、普通に生活していたいので、公共の場には顔を出さない、とか。

 普通の人でありたい、という人の、目立たないけれど、どこかかっこいいファッションだ。

 アメリカの匂いがする、フランクなファッション。フィッツヘラルドや、ヘミングウェイの匂いがするファッション。