京都、寺町、本能寺

  

     

 

 京阪沿線は、家から不便なので、阪急沿線の京都に 足が向いてしまうのですが、

連休中は、電車が混んで、十三からの乗り換えだと、座れないのですが、最近、お腹の

調子が良くないので、梅田に回っていては、時間がかかるので、十三から乗り換えて、

立っていたのですが、後ろに持たれると、丸パイプがごつごつ、背骨にあたって痛かったので、梅田周りにすれば良かったと後悔しつつ、京都について、トイレ探しに、マルイデパートに行くと、地下のトイレは数珠をつくって順番待ち。

二階に上がってみると、婦人服の階だから?

ドレスを着替える部屋や、メークアップルームも備えた、素敵な夢のあるトイレです。

元、阪急だったデパートが、今は、マルイに代わって、若い人が好みそうな品揃えで、値段も買いやすいものを揃えて、カラフル。トイレを出ると、ソファーと、書棚があって、

本を読みながら休めるようになっています。

友人と待ち合わせなどに、ここは格好の場所だな、と思いながら、喧噪の町中に。

待ち合わせをしている、川沿いの、いつもは人のいない場所にも、一杯の人。

昼から開いている、居酒屋に行くと、まだ2席空いていて、ラッキー。

昼から、同窓会らしいグループが、座敷席でわいわいやってます。

他の席も、グループが多くて、店は12時開店、まだ15分もたっていないのに、大忙しのてんてこまい。

春は、京都名物のタケノコ料理を初め、京野菜は、錦市場の食材を使った、料理で、品数が一杯。値段も安い。

ここを出るこるころには、いつもお酒に酔ってしまっているので、遠くに行く気がしなくなる、という欠点があるのですが。

いつもは、空いている寺町も、一杯の人。

お蕎麦を食べに、「田毎」に行くと、ここも満席だったので、寺町を歩いていて、安い食堂があって、そこで、にしん蕎麦を注文したら、値段はただとらないで、蕎麦がだめ。

 鳩居堂も混雑、どこも混雑、本能寺は、特別行事をしているよう。

 いつもは、500円の,宝物館の入場料が、3日間だけ200円。

本能寺の開寺600年祭のかのお祭り行事だそう。

全国から集まって来た、日蓮宗の信者さんたち、お坊さんたち。

 私は全く関係ないのだけれど、本堂の、お線香の香りが良くて、この日の為に、金化粧をし直した、本堂の飾りなどを見ながら、坊さんたちが、椅子を並べて、準備をしているのをしばし、楽しんで観させてもらいました。

ある創価学会の熱心な信者さんが、創価学会の、そもそものなりそめは、日蓮上人に由来するとうようなことを話していたことをふと思い出したり、日蓮宗と言えば、

宮沢賢治が熱心な信者だったことを思ったり。

 私は、今、五木寛之の「親鸞」を読んでいる。

 五木寛之の文章は、風のように、心を抜けていく軽さと、誰にでも理解できる、たやすさがある。小難しいことや、インテリを鼻にかけるような所が全くなくて、すらすらと、頭をさえぎって行く。

 ただ、私に聞こえてくるのは、五木寛之の、どこかなまりのある、話し方。

 インドで、五木寛之は、ブッダの歩いた道、を歩きながら、ブッダの言葉を読み上げていた。その声で、その語り口で、私は「親鸞」を聞きながら読んでいるという感覚がある。

 行事にいそしんでいる人々の姿を見ながら、この行事での、晴れの日の楽しみ、こそが、

信者さんたちの、幸せと生きがいなのだろうな、なんて。

 酒に十分酔っている、部外者は。

帰りの電車も、満員で、しばらくは立っていたけれど、カバンをお尻にひいて、床に座り込んでいたら、いつのまにか、寝ていた。

 前夜、3時間の睡眠だったので、お酒と睡魔で、気持ちよく。

他の人達は、皆、立って、行儀が良い。

飲んだくれの、おばはん、、と思っているのだろうな。そうだもの、当たり。