岸恵子の「わりなき恋」

    

    

 

 春は曙、ようよう白うなりゆく、山際、だったっけ。

記憶もおぼろげなので、間違っているかもしれない

なんとなく、心から立ちのぼる、春の言葉。

岸恵子が、小説を出したので、本屋で、ちょっと立ち読みして

いたら、デュラスの「かくも長き不在」というフレーズを使っていて、

アリダ、バリ扮する、テレーズと頭の後ろに鉄砲の弾を受けた、浮浪者

とが、音楽にのせて、踊る場面が思い浮かんだ。

イブモンタンも、あの歌を歌っていた。甘くせつない歌声が聞こえてくる。

文章の中で、「人といるのは楽しいけれど、一人の時間が落ち着く」という

ような、内容だった。

物書きの好きな人は、大体そうだろう。

私のブログ、大した事書いていないのに、これで、結構時間がかかっている。

先日も、書き始めて、気が付くと、4時間かかっていた。その続きに、夜の11時から

初めて、気が付けば、夜中の1時半。述べ7時間近くも。

書き直しとか、ではなくて、心に浮かぶことを、そのまま書いているだけなのに。

岸恵子が、小説を書いている、とあるインタビューで語っていた。一冊の小説を完成させるまでに、何年もかかっている。

そんなものなのだろうな、と思う。書きなおし、読み直し、付け加え、資料を掘り起こし、

少しづつでも、継続した時間の積み重ねがいるだろう。

プルーストの「失われた時を求めて」は、7年かけて書いた小説だし、今年の芥川賞を取った、黒田さんも、相当長い年月ををかけて作り上げたと言っている。

この先、死ぬまでに、あと一冊、書ければ、というほどに、年月と時間を費やしての作業。

私には、向かない。根気がないし、途中で放り投げるのが目に見えている。

絵画にも、時間をかける人と、一気に描く人がいる。

草間弥生の描き方を見ていると、細かくて、根気のいる作業だけれど、自動的に、手が打動いて、丸を描いているようにみえる。

話しながらでも、手が動いて、丸を書き続けている。

ベニスから、船で1時間、レース編みの島がある。ココシャネルも、この島のレースに魅了され、洋服のアイデアが生まれたとか。

 その技術を継承する女性は、ほとんど少なくなっているが、その島で生まれ、6歳の頃からレース刺繍を覚え、レース工場で働き、年老いた今も、レースの刺繍をしてる時が、一番楽しくて、心が休まるという女性がいた。

夢中になって、手を動かし、美しいレースの刺繍が出来上がっていく。無心になっている

時間。我を忘れて、夢中になれる時間がそこにはあるのだろう。