それでも生きていく

  

  春の嵐か、窓ががたがたと音をたてている。

生暖かくて、地震が起こらないかと心配される。

3,11から丸の年が経過する。

 壊れたものは、少しづつでも、修復されていくが、愛する人達を失った、心の傷は日ごと不覚なり、空白は益々広がっていくよう。

 NHKのソングスで、辻井さんのピアノ「花が咲く」から、彼が作曲した、曲に、エグザイルのあつしさんが、作詞した、「それでも生きていく」と歌とピアノのコラボを聞いた。心に染みいるピアノと声、作曲も作詞も素晴らしい。

 歌は、閉ざされた心を開き、靜かに染み渡っていく、最も効果的な力ではないだろうか。

パリから帰り、昨日、母に会いに行った。

 忘れられているかも、と思いながら、部屋に入ると、母は、ちょっと驚いたようでもあり、嬉しそうに、抱きついた。

 係の男と子が、廊下にいて、部屋の鍵を開けてくれたので、母は、その子にも、嬉しそうに、ここにいたら、と誘っている。

 母は、「久しぶりね。しばらく来てなかったでしょ。」と言う。

 「そうなのよ。パリに行ってたの。」と言っても、母はパリ、という言葉を忘れている。

 「外国に行ってたのよ。昨日の夜帰って来たの。」というと、

 「外国に行ってたの。誰か一緒でしょ。」

 「一人で」というと、

 「そんなあぶないことしていたら、そのうちに死んでしまうよ。」と一瞬、声を大きくして言う。

そうね、と私は笑っている。

母は忘れていなかった。それどころか、私がそばに居る間、何度も、「外国に行ってたの。」という言葉を繰り返していた。

ほとんどの事は、5分もしないうちに、記憶にないのだけど、「外国」という言葉は、母の頭に鋭くインプットされる。

遠い所、危ない所、とんでもない所、なのだ。

おみやげは、服でもなく、食べ物でもなく、うさぎのぬいぐるみを買ってきた。

可愛い、と私も思う。肌触りが気持ち良い。

母は「犬ね。可愛いいわね。」と揺らしながら、うさぎに歌って聞かせるのは、いつもの歌。

パリのパン屋さんで、朝、バケットと一緒に、クロワッサンを一つ買っていた。

夕食前だったが、パリの味をあげたいと思って持って行った。

焼きたてのパンじゃないし、電子レジもないので、堅くなりかけのパンだけど、母は美味しいと言って食べていた。

留守中に、母の認知症の症状が進んだのではないか、と心配していたけれど、そんなことはなかった。

トイレの水でお茶を作ろうとしたり、服を食べ物と間違って、持って帰るように言ったりする、と聞いていたので、心配しながら行ったのだけど、安心した。

看護婦さんからの報告では、母の巻き爪の治療も出来るようになって、改善されているという。

新しい医者になれて、コミュニケーションも旨く行っているようだ。

「忙しいのだろうと思ってたの。外国に行ってたの。」何度もそういう。

行ってもいかなくても、すぐに忘れる、と思っていたけど、そうじゃない。

行かないと、来ないのかな、と思っている。忙しいのだろうか、と思い巡らして暮らしている。

誰にもきっとそうなのだ。

弟も妹も忙しい人達だから、と理解し、気遣いながら、暮らしている。

会える時の喜びも変わらないし、その時を幸せだとも感じている。

母は認知症だけれど、大切なことは決して忘れない、忘れられない。

忘れていることは、母には、どうでも良いことなので、私達だって、気にしなくて良い。