玉三郎「牡丹亭」シャトレ劇場

 

  

 シャトレ劇場は、地下鉄でもバスでも、アパートから便利な場所にある。

 バスでカルチェラタンのサンミッシェルで降りて、ぶらぶら歩きながら、玉三郎の「牡丹亭」公演の開場の時間までに、夕食もすませることに。

  バスを降りると、それほど寒くないと思ったけれど、歩くうちに冷えてきて、

暖かいものが欲しくなる。

 

セーヌは、この所の雨で水かさが増し、遊歩道まで水浸かってしまってるが、豊かな水量と流れの速さが相まって、光に浮 かび、怒濤の如くのうねりを見せている。

 ノートルダム寺院の前に、コンサート用に階段が作られている。

 寺院の中に入る観光客の長い列。冬でも、パリは観光客を伴って、人で賑わっている。

  パリのノートルダムと言えば、ユゴーの小説の題名になっているので、鐘撞きのセむし男、カジモドがいるような錯覚を感じさせる。

 セーヌを挟んで、サンミッシェル側に、英語ブックを扱っている有名な本屋がある。

 その先にある、ミラマといラーメンの店に入った。

 

私は、海老入りのラーメンが好きで、ここに時々来る。

 今お店は、鴨のローストが売りの店で、皆、それを注文している。

  鳥類があまり好みではないのだけど、鴨は、日本でも、「鴨なんば」が好きだし、

 鴨鍋は、好物。

  出て来た、鴨のロースト、皮に毛が生えている。モンマルトルのレストランで出た、

「豚の足」を思い出した。

 フランス人は、獣毛を食する、狩猟異民族なので、こういうのも平気なのだろうが、

私は、だめ。豚の耳、ウサギ、なんでも料理にしてしまうフランス。「コックと泥棒とその妻」という映画では、人体を丸焼きにしていた。

カフェでもう少し、時間を潰して、シャトレ劇場に入った。一番前から2番目の、端席だった。48ユーロにしては、良い席だ。

 席と舞台が接近しているので、玉三郎をすぐ近くに見ることがで来て、その美しさに、圧倒される。

 舞台前のオーケストラには,中国人奏者が演奏する音楽が流れているが、管楽器ではないので、耳に優しいので、丁度良かった。

 衣装の細かい所まで見える。明日も、また、遠い席でも良いから、チケットを買うつもりでいたけれど、こんなに近くで見る 事が出来たので、天井桟敷に行く気がしなくなった。

  時差ぼけで、眠気が襲って来る。

  ミラマで飲んだ,白ワインもまわってきて、何とか起きていようと必死なんだけど、時折り、睡魔に吸い込まれる。

 牡丹亭は、崑劇とよばれるもので、京劇の先駆的な劇。西洋で言えば、ギリシャ悲劇のようなものかしら。

歌うように抑揚をつけたセルフと、オラトリオとオペラを合体させたような感じ。

 優美と気品をテーマにしているようで、とても長い袖を上に上げたり、また下げたりしながらの動きに特徴がある。

 絹の柔らかさとなめからさ、艶と美しく手のこんだ刺繍、頭の装飾、それらを見ているだけでも、この舞台は、悠久の異国に観客を運び、魅了されて、引き込まれるように、舞台を見入っている観客達。

 話は,オペラと同様に、いたってシンプル、男女の恋の物語。牡丹の花と、柳の恋の物語。恋の病にやつれ、無情の雨に打たれて、無くなった、絶世の美女の絵姿を見いだした、恋する柳の精(恋人)が彼女を仏の助けで救い出し、めでたく結婚するという話だから、

 字幕を見ていなくても、誰でも理解出来る劇になっている。

 セルフ回しに、後ろでクスクス笑う人もいたけれど、それも良し。エンターメントなのだから。

 

 

 私は音楽劇を見たり、素敵な映画のテーマミュジックは、後にすっと残っていて、その余韻をいつも引きずっている。

 

 耳に残る、あのメロディー。崑劇の、中国の、弦楽器のもの悲しい響きと共に、玉三郎や主演者の歌声が残っている。