デイトン空港で、立ち話していた人は、最初は、私が、はるばるこのような田舎町に、息子を頼りにやってきた、と想像していたのだろう。
飛行機の手配から、ホテル、交通手段など、一人で取っていることを知って、「凄い」」と言う、。
「誰だって出来ますよ。」と言うと、「全て主人まかせです。」
しっかりしたご主人がいると、誰だって、任せることになる。いないと、仕方なく自分でやることになる。ただそれだけのことなんだけど。
でも言えることは、お任せ、にしていると、後が困ったりする。楽したら、後で苦労する。
突然、自分でやらないといけない事情が出来て、どうにも出来ない人がいる。それがこうじて、鬱病をわずらったり、空虚感におそわれたり、心の逃げから、認知症になったり、という人もいる。
お金の管理が出来ていない人は、経済が維持出来なかったり、騙される危険もはらむ。 投資会社なんて、全くい知らない人につけ込む。
立ち上がれなくなる人もいる。
母が入っている、少々は、裕福な暮らしをしてきた、人達は、旦那さんにおんぶにだっこで、我が儘だった人は、施設の職員が、扱いにくそう。
私の母は、苦労してきたから、人の世話ばかりしてきた人だから、自分の苦労体験から他の人への思いやりが先に立ち、遠慮ばかりしているけれど、手のかからないやりやすい入居者だ。
私も、いつかぼけるかもしれないけれど、人に迷惑かけたくない、という気持ちは持っている。
ローマのトラムの中で、大声でどなりちらし、叫んでる女性がいた。
気が違っているのかな、と思っていた。
男に対して、罵倒と叫びを繰り返していたのだ。
男はだまって、時々、なにか小さな声で対抗しているが、それがあると、更にエスカレートして、女性は酷い乱れ方。
耳が痛い。すごい。
トラムの中にいる客達は、慣れているのだろうか。こういうこと、よくあるのか、
人の喧嘩は犬も食わぬ様子だった。
弱い男を食べさせている女の傲慢な態度も、見苦しいものだ。
それほど、不満があるのなら、別れれば良いものを、思うけど、その女性は、男なしでは生きて行けないのだろう。
そういう人を、自立した人とは言えない。彼女にとって、その男は、なくてはならない。 やはり、おんぶにだっこなんだ。
我が儘をぶつけられる、かけがえのない存在なのだ。
羨ましいとは思わないけれど、だって、私には、そんな情熱ないもの。消耗が激しくて、見ているだけで疲れる。
甘える事の出来ない、かわいげのない人間だけど、それがあって、なんとかやってこれたとも思う。
寂しさ、孤独感は、誰しも、どこかで味わうだろう。寂しさを味わいつくすことによって、寂しさを克服出来るのではないだろうか。