疲れない靴と、小回りの利くスーツケースに目がない。

     広島ステーションの居酒屋

  母のマンション全体の配管修理で、朝から、夕方まで誰かいないとだめだというので、弟が朝から行ってくれていた。昼からは、妹に。

 私は明日から、いないので、掃除は手伝えないと言っていたが、水道もストップしているので、拭き掃除も出来ず、それでも、整理で、3時間ほど、3人でかかっていた。

 まだこれは序の口で、これから、集まっては、整理していかなければならない。

 窓が開かなかったのだけど、弟がスプレーすれば、空くようになるものを持って来ていたからか、業者が開けてくれたのか、窓が開くようになった。

 風を通さないといけないとのことで、クーラーはつけられない。

 母の思い入れで、揃えた調度やタンスの中に、ぎっしりつまった、母のコレクト品、

よくこんなに、と母の情熱の大きさにびっくり。

 どれも丁寧に、大切に保管されていて、母は自分の為につけることのなかっらものばかり。どれも、あげたい一心で、集めたもので、いくつも同じ物があるものも。

 母の買い物好きは、凄いと、改めて思う。

 一部屋で、限られた僅かなもので、生活しているのが、可哀想だけど、皆、同じ道を歩む事になる。

 生まれた時も、裸、死ぬ時も、裸で死んで行く。何一つ、所有することは出来ない。

 私は、母に比べたら、何も持っていないも同然だけど、がらくたが一杯あるので、

 徐々に整理していかないといけないのだけど、そんながらくたでも、手放せばないでいる。

 イズミ屋で、バーゲンの靴を、どれも履きやすそうだと、3足買った。しばらく、家の中で、試し履きしていると、すぐに足の先が痛くなる。

 どれも、これも。また、あわない靴を買ってしまった。慣れるまでに、時間がかかるので、今まではきつぶし状態の、靴で、出かけないとだめそう。

 五木寛之が、100足買って、あうのは、1足か2足、といっていたのを聞いてから、

そんなものだと思っているので、今回の3足も、100足のうちの、と自分に納得させている。

 そのうちに、馬を乗りこなすように、私の足に馴染んでくれることを願わないわけではないのだが。

  最初に、選んでいた3足のバーゲンになっている靴を、定価で売っている、足に良いとかいう靴と、2足にして、帰って来たが、その定価の靴が、かかとがある分、疲れるので、翌日、2足を、最初に選んだ3足に交換してもらうために、イズミ屋に行った。

 交換がすんで、スーツケースに目がいって、エースの軽いスーツケースを買ってしまった。国内、国際に両方機内持ち込み出来るもの。

 

容量が少ないので、せいぜい、1,2泊しか出来ない。そういうのだったら、アメリカから、買って来たものがあるが、それは外のポケットがないので、使いにくい、というのが、買う目安だった。

 

 以前に、大きなスーツケース、6キロ入るのを買っている。それ以上に入るのも、アメリカで買って帰って来ている。

 フランスでは、赤いスーツケースを買った。行くたびに、なんか買っている感じ。

持っていたものを、処分して、新しいのに、変えてきたり。

 何故、これほど、靴とスーツケースに拘るかと言えば、一日中歩ける靴と、引き回しの良い、スーツケースがいるから。

随分、苦労しているのだ。タクシーを使うのなら、どれでも良いわけだけど、バスや地下鉄を使って、石畳の、ごろごろ、間に悔いこむ道を、歩くことが多い、ヨーロッパの道や、 アメリカでは、道路舗装が良くなくて、欠けたり、へこんだりしている道も多い。

 日本でも、盲目の人用のでこぼこ道は、スムーズにいかない。

すいすい、楽々、音が静かで、本体の軽いものを見つけると、すぐに買いたくなる。

 私は靴道楽やスーツケース道楽ではなくて、必要に迫られての、必需品。

寄る年波に、体力に自信がなくなる分、それだけ疲れにくいものには、執着するようになっている。