はつか市ギャラリー「吉田堅治」展覧会

 亡くなっれた奥様を描いた作品

       サムライ、吉田さんの肖像

 二十日市市公民館の中に、吉田さんの展覧会会場になっている、ギャラリーがある。

新しい建物で、ギャラリーは、4部屋くらいの展示場があって、広々した空間を取っている。吉田さんの、8枚の大型パネルの連作も近くから、遠くから、違った見え方が出来る。 今までも、何度か、様ざまな空間の中で、観て来た、絵画だけど、このギャラリーでは、吉田さんの絵画が、描き上げられたばかりのように、つややかささとみずみずしさを讃えているのだ。

 同じ作品でも、随分違いな、と関心した。それは、照明の効果によるもので、展示には、とても大切なことなのだ、ということを発見させられる。

 そういえば、東京に、日光、月光の菩薩を、どのような照明にするのか、テレビで観たことがあった。

版画

 吉田さんの展示は「命を繋ぐ」というテーマになっている。

最初の部屋には、吉田さんが、画学生の頃の、習作の静物画から、戦争で、死んで行った

人々への鎮魂、生き残った自らの心を、黒一色で描いた、「黒の時(代)」

 黒から、パリに出て、色彩の技法を学ぶために、手かげた、版画作品、

 吉田さんの心が作り出す黒と白のシンプルな版画は、西洋の人達には、墨絵の世界のように、神秘で新しいものに映り、その頃、吉田さんが作る版画を、北欧からどんどん注文があった、と、私は聞いている。

 版画の持つ、生きる糧を捨てて、吉田さんは、あえて、絵画一本にすることを決意された。

 それは、まさに「命を繋ぐ」為だったように思われる。

 「サムライ」と題する、作品は、吉田さんが、「これは私を描いた作品」だと言われるものです。

 奥様が亡くなられて、奥様を空に浮かぶ「雲」としてのイメージを描いた作品は、

メキシコの「マヤ」シリーズの作品の間に、ニッチの中に展示されている。

 神秘的な光の効果で、命の輝き、を際立たせている。青は、メキシコの青い空の蒼さ。

 一番奥に、祈りの場、が置かれている。

 祈りの場の、外側に、吉田さんが、精魂込めて、書き上げた、「般若心経」の墨のつややかな輝き、今筆を走らせて、今、筆を置いたばかりのように、墨の匂いまで、感覚として伝わってくる。

 何故か、泣けてくる。吉田さんの 命を繋ぐ使命と、平和への「祈り」が全身全霊で、込められた、手筆のエネルギーが、決意が、書き直しの聞かない、毛筆と肉体と精神との統一された、動きを観たからかもしれない。

 とても良い、展覧会だ。二十日市市だけではなく、全国に、巡回して、吉田さんの作品を観る機会があれば、良いのに、と惜しまれるけれど、

 ぼちぼちで、良い、と吉田さんは、きっと、展覧会を実現させてもらった、関係者の皆様に、感謝しておられるに違いない。

 「作品」作品こそ全てだ、と思う。「作品」が、吉田さんの「命」をつなぎ、観る人々の「命」を繋いでいる。

6時にギャラーを出て、雑多な世界に。駅までの、交通量の多い道。

 明日のことを知らずに、生活している人々。私もそう。

 新幹線駅で、夕方の7時に来られる、3人を待つ。

 事故なのか、遅れている。全体的に、遅れが出ている。

 9時49分の新幹線をチケットを買う時間があった。

 娘さんと、甥御さんの奥さん、吉田さんととても親しかった方。

 久しぶりに会って、電車の時間まで、食べて話が盛り上がる。

 楽しい集い。あっという間に、時間が過ぎてしまった。

  吉田さんの「命」が繋いだ、出会いと友情の始まり。

 二十日市公民館

 

家に帰り、暑い二階に風を通さなくちゃ、と上がると、涼しい。

 朝、締め切った部屋で、電話しておこうと、我慢出来なくて、冷房を入れたまま、 

忘れていた。なんということ。

 普段は我慢してつけないのに、私のいない時間、部屋を冷やしていたとは。