尖閣列島に、日本の地方議員達が上陸して、日本の国旗をふりかざし、岩山にくくりつけている。
石原都知事が、尖閣列島を東京都が購入することを宣言してから、尖閣は、争いの場になるつつある。
韓国の大統領が、竹島に上陸して、韓国の国旗をふりかざしている。
先日、NHKで、今年の3月に亡くなった、城山三郎の詩を紹介していて、
最近の危険な動きは、「旗」に象徴されていることを、改めて感じていた。
その動きが、エスカレートしていっている。
旗振るな
旗振らすな
旗伏せよ
旗たため
社旗も 校旗も
国々の旗も
国策なる旗も
運動という名の旗も
ひとみなひとり
ひとりには
ひとつの命
戦争へのきなくさい動きが、芽を吹き出してはいないだろうか。
戦争は、忘れた頃にやってくる。
終戦記念日ではなく、「敗戦記念日」だと主張して、声高に叫ぶ人間が
テレビに映っている。
竹島や、尖閣、北方領土にしても、互いに、自分のものだと主張し続ける限り、
争いは収まることなく、強者が弱者を殺戮する形で、奪い取るようになる。
それが戦争では、ないか。
何も利益を生み出さない、価値のない岩場だったら、魚の捕れない、汚染された海であったなら、いらない、と主張し、その岩場の管理を放棄し、相手の責任だと互いに辞退するだろう。
平和的な解決を模索しなければ、ならない。方法はただ一つで、シンプル。
分け合うことだ。
資源があるなら、一緒に開発して、その利を分け合おう。
領土は、みんなの物であって、誰のものでもない。神がこの世を作ったとしてたら、
神のギフトだし、自然が作ったものだとしたら、自然のギフト。
民主的な話会いは、共有出来る事を模索し、共に納得の行く方法を見いだすことに、その目標がある。
竹島も、尖閣も、北方領土にしても、自然の恵みを、共に分かち合うこと。互いに、「旗」を下ろし、「旗」をたたまなければ、平和はやってこない。