映画「きっとここが帰る場所」

  

「きっとここが帰る場所」の予告編を見て、早く観たいと思っていた作品。

 梅田の歯科医から、キャンセルが出たから、と手術の予定で出かけたけれど、

 ネットで観ていたら、根管治療の方が負担が少ないと書いているので、手術以前に、もう一度相談してたら、手術の時間がなくなって、出来なくなったので、また、空きが出るまで延期になった。

 そこで、観たい映画を、とシネリーブスに行った。始まる時間まで随分待たないといけないので、別の日に、とも考えたが。

  

 映画に中で、流れる音楽も素敵だけれど、ショーン・ペンの演技が素晴らしい。

 精神的に打ちのめされた、気の弱い、壊れそうな役所を、見事に演じきっている。

 、心が深く傷つき、抑圧され、暗い表情の人間達が、アイルランドの陰気で暗い表情の環境の中で、ぴったり一致している。

 次第に解き放されていく、心の本質に、、父親の死を通して、「愛」の認識がある。

 この映画の中で、私が深く心を揺すぶられた言葉がある。

 彼は、女装するようになって、父に嫌われ、拒絶されていると思うようになった。

  息子を愛していない父親はいない、と確信出来た時に、彼が泣く。

 子供を持てなかったこと、これからはもう無理だと言って激しく泣くシーン。

 

 愛がなければ、愛することは出来ない。愛は、どこから?愛は愛から。自分自身から。父親から。

 子供を持つ、親の子供への愛情は、無条件だ。子供の幸せを願い、自分のことは、後回しになる。 無償の愛、とも言われる愛、「子供を愛する親の愛」によって、彼の閉ざされた心に愛が芽生える。

 息子を亡くした母親を、不幸なシャイアンが毎週訪ねて、謝罪していても、母親の心は開かなかった。愛を知ったシャイアンが、母親を訪ねると、その母親は、自分の息子が帰って来たと錯覚する。それは、憎み続けて来たシャイアン。彼は、笑って母親を見上げる。

母親にも笑いが。

 「海辺の家」という映画を思い出した。父と息子は、互いに愛情表現がへたで、つっぱっている関係は多いけれど、父親は、息子に取って、永遠のライバルであり、尊敬の対象でもあって、愛が強いだけ、互いに弱みを見せられない。

  「海辺の家」も好きな映画だったけど、「きっと、ここが帰る場所」も私の心にはまる映画だ。また観たい。

 もう一度みれば、また違った側面を楽しめそう。

以下、映画館の解説引用

きっと ここが帰る場所』はアメリカの偉大な俳優兼監督ショーン・ペンと、イタリアの新しき才能パオロ・ソレンティーノが結託して創り上げた見事な結晶

2008年カンヌ映画祭審査員賞受賞のソレンティーノ監督作『イル・ディーヴォ』。この作品に惚れ込んだ審査員長のペン。二人は新作を一緒につくることを約束する。その結実が『きっと ここが帰る場所』で、11年カンヌ映画祭でエキュメニカル審査員賞を獲得、賛否両論を巻き起こした。

トーキング・ヘッズの同名曲をフィーチュア、緊密に設計された美しい映像、躍動するストーリーテリングで展開し、観る者の五感に訴えかける。演技派キャストの見事なアンサンブル、デイヴィッド・バーン&ウィル・オールダムが担当する映画音楽など、見どころ満載。すでに各地で熱狂的なファンを生み、多くの映画祭で上映され、いよいよ初夏日本上陸となる。

シャイアンは、かつて絶大なる人気を誇った、ロック界のスーパースター。なぜか、ある時を境に、一切表に出ないようになった。アイルランドにある広大な邸宅で、消防士として働く妻とゲーム“ハイアライ”というゲームを楽しむだけ。そんな平穏な生活を送るシャイアンに、故郷アメリカから「父危篤」の報が。飛ぶのが嫌いなシャイアンは船でニューヨークへと向かうが、時すでに遅し。生前の父には会えなかった。茫然自失のシャイアンに、予想もできない運命待っていた・・・。