7月26日から、吉田堅治展が広島で開催されます。

    

今朝、吉田さんの娘さんから、お電話をいただいた。

 吉田堅治さんの、個展が、7月の26日から、広島のはつかいち市で、開催されるとの

お知らせです。

 NHKが協賛になって、8月の原爆記念日にちなんで、平和を改めて考える集い、というコンセプトで開催されるのでしょう。

http://www7b.biglobe.ne.jp/~kenji-yoshida/index.html  

去年の3月11日は、原爆の800発分もの放射能が、日本中にばらまかれたのですが、目には見えない為に、その怖さは覆い隠されたまま、私達は、何もないかのように、生活しています。

 身にふりかかってからでは、遅いのに、現実感がない人々は、原発が必要だと思っている。

 野田総理が、国民に、安全性を約束したから、と責任を転嫁するかのように、再稼働を容認されました。

 今、起こっている現実はどうでしょうか。

 水には、セシウムがなくても、その底に貯まっている泥に、高濃度のセシウムが検出されているのです。

 阿武隈川で、鮎が放射能に犯されているのです。

 人間は、大丈夫、ではありません。

 大飯原発には、活断層があることを、政府と関電は認めようとはしません。

 ない、と言っているのですが、現実には、あるのです。

  琵琶湖が犯されると、近畿の命の水は、汚染され、人間が生きる為の水が飲めなくなるのです。

 そのような、命に関わる危険を、電気の供給の為に、犠牲になんて出来ないはずなのに、 「そんな事態には、滅多にならないだろう。」という安全神話の復活です。

 橋下知事も、「停電が起これば、命にかかわる人も出てくるので、再稼働は有り難い。」とコメントしています。

 病院や、命綱の器具をつけている人達のことを言っているのでしょうが、そういう所は配慮出来ます。

 東京は、昨年18パーセントの削減をしました。

 やれば、出来ることを、あえて、やらないようにさせている。

  吉田堅治さんは、「平和への祈り」を「生命」の大切さを、訴えて絵画に表現しながら、命の灯火を燃やし続けた画家でした。

 吉田さんは、清貧に生きた人でした。最低のものだけあれば良い。わずかなものを分け与えることを喜びとした人でした。

 平和を実践した人でした。

 人の命を大切にした人でした。

 飢えていないか、と訪れる人の

 為に、食べ物を常に用意していました。

 危険な目に会わないか、と誰にも心を痛める

人でした。

命の限りを尽くして、誰にも、分け隔てなく、

愛をつくした人でした。

 日本には、かつて、清貧に生きることの美しさがありました。

 分かち合って、苦難を乗り越えて行く、優しさがありました。

 今、私達は、もう一度、考え直す、機会を与えられたのに、

 それがもう忘れ去られようとしている。時間は余りにも性急です。

 吉田さんの「展覧会」は、立ち止まり、考える場を提供しているのだと

 思うのです。

 はつかいち市ギャラリーでの、個展のお知らせは、吉田堅治ホームページの最後にくわしく

 載っています。ご覧ください。