昨夜、帰って来ると、宅急便の不在通知が入っていた。
花と書いている。息子からの母のプレゼントだ。
今朝、再配達してもらった。
日比谷花壇から、宅急便で届けられた。凄く素敵な花のアレンジ、幸せな気分に。
お客様でもない限り、花より団子で暮らしているので、
勿体ないな、散在させてしまって、と申し訳無く思うけど、でも嬉しいこと。
その前日に、アメリカから、息子のガールフレンドから、母の日のカードと、小物入れのバッグが、郵便で送られて来た。
手作りの可愛いカードは、きっとみみちゃんが作ってくれたものかな。
ハートを切りぬきにして、心のこもったもの。
息子を持つ親は、とても幸せだと思う。息子が結婚すれば、娘が出来るから。
ニューヨークに行くと、お昼ぐらいまで、息子のガールフレンドと、 コーヒーを飲んで、なにか、つまんで、よくおしゃべりをしてしまうのだけど、娘と母親って、そういうものでしょう。
昨日、母の母、つまり、私の祖母が、家を空襲で焼き出され、終戦間近に疎開して、そのまま住んでいた、「学文路」という所に行ってみた。
この前、和歌山に南海電車に乗って行った時に、学文路に行ってみたい、と友人に話していた。
学文路から、茂野まで歩いて行ってみようと思ったけれど、学文路に降りると、御大師さんへの無料のバスが待っていて、 友人とそれに乗って、学文路大師にまずは。
運転手さんに、茂野への道を聞くと、この山の上だと言う。
祖母の親が、茂野で、商屋だった。
高野山に入るのに、武士の最後の宿になっていた。山に入る侍が、刀を置いて行ったといか。庭に池があって、鯉が泳いでいた。竹林の中に 離れがあった。
私達は夏と秋、両親と学文路の祖母を訪ね。茂野の 母の祖母、祖母の実家を訪ね、そこに何日か滞在していた記憶がある。
九度山の柿を、毎年、送って来てもらっていた。
母は、一度お墓参りをしたいと言っていた。
記憶にある、学文路と、茂野を捜して見たいという思いで、出かけたのだ。
御大師さんは、月の行事のある日で、その辺りはお墓もある。
曾祖母や母の叔父、従兄弟たちのお墓がどこになるのかわからないけれど、ここかもと思って、お参りして、学文路に戻った。
駅前は大きな道路になっていて、紀ノ川はどちらかと聞いて、記憶を辿って、駅から、なくなっている道を辿った。
古い酒屋があり、その先に、川に至るような細い道、こんな感じだと降りると、目の前に紀ノ川が、向かい岸を挟んで流れている。
酒屋さんに、「この辺りに渡し船があったのですが。」と聞くと、この道を降りたところにあったのですよ、とのこと。
やはり、この道、この川がその場所だった。
松下、という名前を言うと、たづねた人は皆、茂野の松下は知っている。歩くと、時間がかかりますよ、と。
祖父母が間借りしていた家は、母屋が、お饅頭屋さんだったので、それを聞くと、大通りの向こうに、饅頭屋があり、古くからのものだという。
どこかに食べ物屋さんはないですか、と聞くと、一軒だけあるけれど、開いているかどうか、と教えてくれた。
お好み焼き、と書いている。バスの運転手にも、聞いていたら、お好み焼きの店しかない、とのことで、この店のことだったらしい。
昼間から、カウンターで、3人ほどの常連客が飲んでいる。
お好み焼きが美味しい、というので、それを注文。
茂野の話をすると、松下を知っていて、饅頭屋は、御大師さんの饅頭で、古くからあるとのこと、以前の場所は、と教えてくれた所あたりが、祖保母のいた所なのだろうか。
私達も、御大師さんにお参りしたのか、と聞かれた。
こんどは、21か、22日か、また会いましょう、会いたいと。
女性の客は、神戸の出身で、その人の親兄弟は、震災で家が焼かれて、亡くなったとのこと。
遠くて、近い話。
食後、せっかくきたから、歩いて10分のお寺だけでも行こうということになって、
西山寺、まで。そこも古いお墓がある。
石堂丸物語の舞台になっている所で、高野山へ入り口にあたり、女人禁制の場所。
学文路の駅まで歩いていると、自然の木の根の姿が見事なものを置いているガレージがあって、そこで、作業している人に話しかけると、趣味で、作っている人で、
今年の干支だといって、竹で作った、竜の置きものを出して来て、写真を撮らせてもらったら、お土産にと頂いて。
親切で、素朴な人達の暖かさを胸に、帰って来た。
前日から、風邪を引いて、熱がある母を見舞うと、元気になっていた。
食欲がないと言われていたけど、持参した、シュークリームと、御大師饅頭を、美味しいと食べてもらえた。
どちらも、父が大好物のもので、父の誕生日が、御大師さんの生まれた日で、1月の21日、今年の干支の竜、というのは、いかなる縁だろうか。
宝くじに良く当たる人、運の強い人は、水瓶座だと、テレビで言っていた。
父は、宝くじに、100万円を当たって、何度か、当たっていた。
良く当たる人は、何にでも当たるから、交通事故も何度か、最後は、階段から落ちて、コンクリートに頭をぶちつけた。
運の良い人も、悪い面はある、ということだ。