今朝、京都の南座に行く用意をしていた。
バッグの中の、今日入らない物を出して、重さを軽減しようと、バッグを開けたら、
昨日、母に、持って行った、おせんべいが入っていた。
一度に、沢山食べると身体に悪いので、小分けにして持って行ったもの。
母は、いつも、私に食べさせようとして、持って行くものを、「これ、持って帰って
食べたらよいわ。」と包み直す。
「家に一杯有るのよ。これはお母さんに持ってきたのよ。食べて欲しくて。」
「あら、そう。じゃ、半分だけ。一緒に食べよう。」と言って、おせんべいを半分にして、小さい方を母が取り、「美味しいわ。これ、とっても美味しいわね。」と喜んで食べている。食べ終わると、半分に残っているおせんべいを、話をしているうちに、自然に手が行って、「美味しいわね。」と感心しながら食べてくれる。
大きな袋ごと、持って行くと、母は小分けして、少しだけお皿に取り、しっかりとしめらないように蓋をして、私に、「これ持って帰って食べてね。」と言う。
時にはそうして、時のは、小分けして持って行くのだけれど、いつも、母は、自分をさておいて、私に、食べさせようとの、優しい親心。
今、食べてきた所、家には一杯あるのよ。お腹が一杯で食べられないの。」
いつも同じ言葉で、しばし。母を安心させながら、持って行った食べ物を食べてもらう。 母の好きな、甘い物を好きなだけ、食べさせてあげたいけれど、体重が増えると、膝が痛む。
母の身長からすれば、今はその限界だそうで、あまり食べてもらってはいけない。
小倉山荘の、「和三盆」というおかきのおせんべいは、私でも、いくらでも食べたくなるほど、軽くて美味しい。カロリーは結構あるので、母に4枚持って行き、2枚食べてもらった。
これは、夕食後にでも食べてね。と二枚をジップの袋に入れて、テーブルの上に置いていたはずのもの。
夕食の時間になると、私はいつも母と階下のサイニングに降りて、そのまま帰ることにしている。
私がトイレに行かせてね、と言って、トイレを使っている間に、母はそのおせんべいを私のバッグに入れていたようだ。
夕食後にお願いします、と朝取りのいちごを、係の人に頼んで来ているので、
母はいちごを食べているだろうけれど、母に、何もしてあげられないのに、と
こみ上げてみたものがあって、目がしらが熱くなる。
二枚入ったおせんべいに、母の溢れるほどの愛情をもらっていることが込められていて、辛さがより、深くなる。
大好きなお母さん、愛しいお母さん、元気で、長生きしてもらって、喜んでもらうこと が、私の願いなの です。
母は、自分が出来るだけ、長生きして、迷惑をかけないように、子供達の幸福だけを願って、子供達を心配し、喜ばせたいと願っている。母の頭は、その点に関しては、はっきりと明瞭なのです。
母は、いつも、私の重いバッグを持たせないように、肩にかけて。この写真も。
エレベーターの前で。