ものは考えよう

   

 母に会いに行くのを早くして、叔母の病院に。

従姉妹から電話があり、叔母の病室を、二人部屋から、四人部屋に移動するかどうか、叔母に旨く聞けないので、同行して欲しいとのことだった。

 頼んであった、特養は、弟の関係で、空きが出たので入居出来ることになったけれど、先日も、胃から出血も伴って、しばらく点滴だけの状態で、叔母の鼻孔チュウブを外して、口からの食事を試みても、たちまち体力が落ちてしまうのは必至なので、入居は無理だと判断。

 この先、病院にいるのなら、二人部屋の差額15万円を節約して、4人部屋に移る方が、 先々の費用を考えても、との配慮から、4人部屋といってもかなり広くて、今のスペースと変わらないし、今は、廊下側のベッドなので、カーテンでしきられて、日が当たらない。

 叔母の資産を管理している弟は、病院に奉仕しているような15万円は、無駄だという考えで、叔母の余力からも、この先10年すれば、預金が枯渇してしまうので、4人部屋に移れば、どれだけ長生きしても、大丈夫だから、とのこと。

叔母に金銭から、とのことは避けて、明るい部屋が空いたので、移りたくないか、聞くと、叔母は、このままの状態が良いと言う。ひどい状態で、横たわっている患者を、垣間見ていて、他の人とは一緒にいたくない、という。

 確かに、ひどい患者ばかりだ。

 

  叔母は、食事に興味がなくなっているので、鼻腔から栄養が取れていることで、簡単便利だと思っている。

 身体に痛みがないので、ベッドで横たわっている方が、楽なのだ。

 叔母の楽しみは、目下の所、野球の試合をテレビで見ることだ。従姉妹が、暖かいコーヒーをポットに入れて持って来てくれること、見舞いに訪れる人が何人かいること。

 病院の職員と話しをすること。

 ベッドに釘付けになって、食べることも出来なくて、生きていても何の楽しみがあるのかしら、と健康な人間は思うけれど、そうではない。

 劣悪だと思う環境においても、日日の、小さな楽しみがあって、だから、

明日も、明後日も、希望に支えられて、生きている。

 叔母のいる、日の当たらないベッドは、カーテンで仕切られているから、

個室と同等になっている。

 個室だったら、隣の人の分を更に負担しなくてはならない。

 逆の思考からは、15万円、負担してもらっているのだから、それだけ貯金が増えている。 このまま、行ける所まで、行くのがベストだと思う。