渡辺えりの一人芝居

    

   久しく、新劇の舞台を見ていなかった。

 渡辺えりの、一人芝居、久々に、新劇の空気を味わったら、気持ちが遠くに飛んでいく。 労演のパンフレットを捨てられなくて取っている。随分貯まっているけれど、どこかで、ぽっきり止まってて、それから、あまり考えなくなっていた。

 私が、演劇をやりたかったこと。それほど熱心なわけではない。

 子供の頃に、ちょっとばかり絵が上手だったので、小学生の頃は、絵描きになりたいと思っていた。

 宝塚歌劇を何度か見せてもらって、歌劇の男役になりたいなあと。

向かいの屋根裏部屋で、外交官になりたいと、勉強していた、コロちゃん。独身だった叔母が、コロちゃんと仲良くて、家の窓越しに、良く話をしたり、花火を見に行ったりの時に、私も連れて行ってもらって、コロちゃんとしか、本当の名前は知らない。

 何度かの試験落ちの末、ついに外交官に、レバノンに赴任していた時の下宿屋の娘と結婚して、連れて帰って来た。

 コロちゃんは、見栄えが良くないので、アメリカとか、先進国の大使にはれないのだと

か。多分、出世も望めなかっただろう。下宿屋の娘のレバノン人と結婚したから。

 外交官になりたいなあ、とも思った時期があった。

 九州にいる、父の親友の息子が、演劇かぶれで、早稲田で自分の劇団を作っていた。

 名前は、エスポワール。

 「ディスポワールになっちゃったよ。」

黒いベレーをかぶって、かっこよかった、インテリの真坊。父も母も、「真坊」と読んでいたから、私達も、周りの皆も、「真坊」と読んでいた、その人は、劇団が解散になって、しょんぼりと、冗談まじりに、口を曲げて悲しそうに笑っていた。

 早稲田の演劇科に行って、劇団に入りたいな、なんてことも思っていた頃があった。

  映画の世界が、本当に世界のように思われて、いくつもの、なりたいものに、憧れて。フランス語が格好良いから、始めた、簡単な会話教室から、大学に籍を置くまでにのめり込んで、フランスで住みたいとも思うようになって、パリの大学院の入学許可までもらったというのに、今は、全く無縁。

 振り返れば、どれもこれも、本当になりたかったわけではない。その時の、雰囲気に惑わされていた、ナルシスムが生み出した、幻想にすぎない。

 これから先、私は一体何になりたいのだろう。

 きっと、一番向いているのは、三文役者だ。

 役者は、陽炎。どんな役にも自己を投入して、様々な人生を、ほんの少しの間、演じて生きる。

 渡辺えりが、一人芝居で、6人の女性の生を演じていた。

 私は、ぼおとその舞台を見ながら、亡くなってしまった、名優達の姿が、忘れていた人々が舞台の上に、蘇る。

 幻だ。

 「女の一生」「桜の園」「カモメ」「罪と罰」「夜明け前」滝沢の「ゴッホ」に、「あるセールスマンの死

杉村春子の「欲望という名の電車」数え上げたら、きりがない。

 演じて、消えて行った人々の、声が、姿が、スポットライトの下に映し出される。