映画「あんときの命」

  

 映画を見て、いつまでも後に尾を引く映画がある。

http://www.antoki.jp/index.html

「あんときの命 」はそういう映画の一つだ。

 映画を見てから、私は、何度か、自分が死ぬときの夢を見た。

夢なので、余裕を持たせているのか、自分に甘いからなのか、これから寝れば、明日は死んでいます、と寝床について、翌朝、あら、生きていたのね、という夢なのだ。

 先日、友人に、映画の内容の話をしていたら、「観たくなったわ。見に行くわ。」

 どんな映画化もしらないで、チケットがあるから、時間が合うから、見る事になった映画だけど、インパクトが強烈だった。

 一人暮らしの、孤独死。遺品整理と清掃を請け負う仕事に、応募してそこで働く若者に、スポットライトを当てているのだけど、孤独死をする身になれば、気は重い話だ。

 喀血して、血がべっとりとつき、ウジ虫が沸いている、部屋。

 部屋に入る前に、バルサンを炊いて、ゴキブリをやっつけてから、突入。

 ゴミの山。

  遺品の整理をする仕事は、亡くなった人の、生き様が一つ一つの物を通して浮かび上がってくる。物をかたづけるのではなく、その人の「命」が人とつながってること「心」はつながっているのだということを認識することで、心が壊れた若い男女が、救われていく。

  癌は最も良い死に方だと言われる。身辺整理をすませて、家族や友人に、別れが言えて、死ぬまでの期間があるので、思い残すことのない人生を送ることが出来るとか。

 この映画の中では、息子が親の遺品の整理を、頼んで、皆捨ててくれと頼む。その後で、親父が土地を買っていたことがわかり、その権利書があるはずだと、遺品の整理をしている所にやってくる。

 書類らしい物をひったくると、それは子供の頃からの、通知簿ばかり。やっきになって、探していると、子供の頃に、親に手伝ってもらって作ったのだろう、紙のロボット。

 息子は、それを見て、泣き崩れる。親の命が、子供に宿り、心が一つになった瞬間だ。

 子供を置いて、出て行った母親が、死んで、遺産を娘に残していた。そんなお金はいらないから、片付けてくれと娘は依頼する。

 遺品の中に、出せなかった手紙が幾つも。若者は、これを届けたいと上司に言う。

上司は、今まで、そういうのは何度かあったけれど、無駄だよ、と。

 若者は、娘の家に行く。受け取りを拒否され、玄関先に置いて帰る。

 娘は、自分の娘を公園で遊ばせながら、手紙を読む。母親の愛情が切々と綴られている手紙。娘の憎しみは、溶け、涙がとめどなく溢れていく。

 生きている間は、一杯余計なものを周りに置いて、捨てられないものが一杯あるという方が、「命」が永遠に消えることがなくて、心を寄せていて、温もりがあって、幸せなのではないかな。

 片付けられる間に、片付けて、といつも頭にあるのだけど、それが出来ないのなら、出来ないで、それも良いのではないかな。一つ一つが、「命」の証し。孤独を避けるにも。 誰かと、どこかでつながっているという絆。語りかける物語が、そこにはあるのだから。