ニューヨークに帰るとほっとする。

 

金曜日は、MOMAのフリーデー。いつものように、モーマに行き、それから

フォイットニーにも行く。

二人が出ていくと,急に眠たくなって,ソファーでごろ寝。

気が付けば、1時半。

さて、行動を開始しよう。

猫のタマは、出かける用意を始めると、そわそわ。

外に出ると、空気が澄んで、緑が一杯。

あじさいが満開だ。一面に緑と,花が互いに引き立てあうように。

ニューヨークは、今、一番美しい季節じゃないかな。温度も調度良い

さわやかさ。

日本では、すでに猛暑日で、熱中症の人も出ている。

一体どうなってンの?クレージーな季節変動で、日本は亜熱帯

地域になっている。

地球の温暖化は、CO2と関係ないように思う。地球が変動している。

地震などの地殻変動もそう。地球が活動期に入っているのだと思う。

いつか、地球がビッグバンで出来たように、再びビッグバンで、粉々になるの

は、いつなのか、その為に,他の宇宙に住めないかをずっと研究してきたのだ

ろう。

猿の王国、という映画も、小松左京の「地球沈没」以下、様々な映画や小説で

も、予言しているのは、決して絵空事ではなく、決まっている未来なのかも。

そういう中で、「地球最後の日」というグレゴリー、ペックが主演した映画

は、ショックが大きかったけれど、それが最も現実性がありそうな様相。

震源地は日本で、日本から放射能を世界に浸透させて行くことになるのでは?

54基もの原発をかかえて、地殻が突き上げられて、止まっているものでも、

莫大な量の「原爆」をかかえている。

日本は、核兵器は持ってなくても、同じものを名前で,きれい事に言い換えた

だけの,「ウランプルトニウムを使って、原子力でエネルギーを生み出して

いる」核保有の、核をばらまく危険性を抱え,現に、今拡散している。

でも、誰もそれんほど深刻になっていない。いないから、楽しむことも出来る

し、生きていけるのだ。

まだずっと先のことで、映画にすることは、それ自体を楽しんでもらう為。

私も、その一人。

ニューヨークに戻ると、ほっとする。

普通サイズの人達が普通に歩いているから。

ニューオリンズのような、南部の人達を見ていると、心臓への負担が気になっ

て, 健康への懸念で胸が痛くなる。私への恐怖にもなる。

くじらのように太っている母親と子供達の話を映画化した,題名を忘れてしま

った,映画を思い出す。

母親は、精神的な心の痛手から、過食になって,クジラのように。

母親が亡くなると、息子は、家に火をつけて、母親の姿と共に、火葬にする。

優しくて、貧しく、心がの病から抜け出る事の出来ない母親を深く愛している

子供。

太り過ぎている人を見ると、痩せすぎの人を見るのと同様に、心が痛む。

ニューヨークやボストン、パリやロンドンでは、普通サイズの人が多い。

普通に暮らし、普通に食べ、バランスの良い暮らしをしている。

食べられない、とストライキをやっている人も、健康そうで、楽しんでいる,

余裕を感じる。

MOMAで、無料のチケット日に,列を並んで絵画を見たい人達も、文化的な

生活をエンジョイしている。

お料理の味と、美的感覚に拘っているニューヨークのレストランで、身体を気

遣いながら、食事をし、お酒を飲んでいる人達を見ると、私はほっとする。

彼らは幸せな生活を、自分からチョイス出来る生活をしている。

食べることが出来なかった人達が、ものすごい量の食事が出てくることに喜び

を見いだせるようになって、それがまた健康を蝕んで行くのだと思うと、辛

い。善良で、陽気な人達だから、心が痛む。

文化的な生活を支える為に、彼らが負っている負担や犠牲は大きい。

原子力発電だって、同じ事なのだ。

お金のない貧しい人達に、お金を餌にして、原子力発電が建設された。

原子力を誘致した地域の人達は、お金をもらった人達が作ったのは、立派な建

物だったり、実のない使い方をする。乏しくなれば、また一基、作ってほしい

と要請する。

電気を使い、文化的な生活を,安全な場所で,無神経に使っているのは、東京の

都会人だった。福島の原発事故が起こるまで、当たり前だと思っていた。

今、こういう事態になってなお、原発は必要だと思っている,無神経な人達が

多い。

お金の方が、命よりも大事な人達が、なんと多いことだろうか。