大震災と原発事故によって、中央主権の終焉が

 

今頃、スピーディーを出して来た所で無意味なのだが、政府は、国民の信頼を得るに、

細野さんを使って、パーフォーマンスをやっているとしか見えない。

 今朝のテレビに、細野さんが出演して、20ミリシーベルトについて質問された。

 

細野さん自身も、この値は認められないと、官邸に反対したけれど、官邸は聞きいれなか

った、という。

 1ミリから20ミリシーベルトまでの範囲で、認められているというのだから、安全を取るのなら、当然1ミリシーベルトに設定されるべき所なのに、最大の20ミリシーベルトを譲れないのには、それなりにわけがあるはずだ、と私は細野さんの話を聞いていて、改めて思った。

 

 チェルノブイリの事故以来、原発の問題提起を小説にしてきた栗本薫さんは、「日本が日本としての形を存続させていけないのではないかと懸念を抱いている」とテレビで発言しておられた。

今すぐに、浜岡原発を止めるべきなのに、国民が、声を大にして、原発をやめさせるべきなのに、そういう声は、小さい。

もっと安全な原発を、もっと快適な生活をと思っている人が多いのだ。

小出さんのように、何故、原発を都会に作らないで、過疎地に作るのだろうか、と疑問を抱き、原発は危険だからということを知った時点で、反原発に転換するような研究者は、極僅かで、危険は承知していても、自分ならやれると過信し、政府の意向に乗って、原発を促進し、自分達の地位を向上させ、快適な生活を志向する家研究者のほうが多いのと同様に、スローライフよりも安易で便利な生活、経済性成長への期待、ステイタスを求める人が、多いということなのだ。

 

 京都大学は、研究に没頭する人が多いので、研究以外に時間を取られたくない人は、助手のままでいるのが、居心地が良く恵まれた大学だ。世界的になくてはならない研究者で、助手のままでいる人もいると、小出さんは語っている。

 東京大学は、官僚を育てる大学だけあって、立身出世を重大視するので、助手のままでいると、形見の狭い思いをさせられる。

  東大至上主義の時代が終焉を迎えつつある。それと比例して、原発の終焉も。

地方分権化は、これから進んで行く。特色のある大学が、独自の研究を開花させるだろう。それぞれの地域の為に、貢献出来るような研究の結果が生み出せるようになるだろう。

圧倒的に、東大につけられてきた研究費が、地方財源の委譲で行き渡るようになれば、地域に貢献出来る、沢山の花を咲かせるようになる。

地域のそれぞれが自立することで、国の形が出来てくる。今までの日本の形が、今回の大震災と人間の過ちが起こした、原発事故によって、終わりを迎えようとしている。

原発推進派の研究者達が謝罪しても、取り返しはつかない。小出さんのような、助教(以前の助手)が、最も信頼出来る原発研究者として、光を浴びている。

 大きな音を立てて、東京の首都機能が、霞ヶ関が、価値観が、権力が、崩れて行くような気がしているのは、ごく少数派の人間だけだろうか。