仏教の教えは、幸せに生きる知恵

  

  

 コナミに行くのに、ビクビクしなければならないなんて。

 会いたくない人に、いつも顔を合わさねばなりません。毎回その人も来ていて、

 事情はともかく、私の方だけかもしれないのですが、こだわっているのです。

 嫌われることを気にしないと、楽になる、とかなんとか言う本が出てたっけ。

最近、曾野綾子さんが、バンバンヒットを飛ばしている。

 別の本を探しに、本屋に入って、それがなくて。

 先日、朝日ニュースターで、スリランカ出身の、アルボムッレ、スマトナサーラという、人がゲストとして、登場。

 「怒らないこと 」という新書が30万部の売り上げになっていて、仏教をわかりやすく、解説することで、今話題になっている。

 [仏教は宗教ではありません。生き方を説いているのです、]

 何かをお願いするということはないので、幸せに生きる術を説いている。

その方は、見る物、聞くもの、出会う物、面白くて、面白くて、仕方がないそうです。

{この放送は、お正月に収録されたもので、震災以前でした。}

怒らない、感情に支配されない、そん風になりたいものだ、と私はその本を探したのですが、マイナーなのか、売り切れているのか、ありませんでした。

いつも、どんな時にも、あわてないで心が安定していられる方法、それが仏教の実践だそうですが、何かあると、慌てふためいて、判断が出来ずに、心が喘いで、それが苦しくて仕方がない、私は、そういう境地になれれば、どれほど有り難いことでしょう。

 自分の思う通りにならないのが、当たり前で、旨く行くと、このほうがおかしい。

子供の心を自由に出来ない、自分の心を自由に出来ない、ましてや他の人の心を思うままに理解してもらおうなんて、とんでもない。

世界はこちらに合わせてもらえません。でしたら、自分が合わせて行くしかない。

 そうすれば、怒ることはない。世界はとても面白く見えてくる。

知った上で、慌てない、落ち着いていられます。

 つまりは、自分を客観視することが出来るかどうかで、生き方が楽になるか、苦しくなるか、ということなのでは?

 自分の心は、自分のものではなない。

 欲しいという気持ちは、自分がコントロール出来ない。お金がないから、買えないでしょう、だから、欲しくないようにしましょう、と言っても、欲しいという気持ちは抑えられない。それが欲望です。

 お金がなくて買えなくても、食べたいという気持ちは抑えられない。

 

 そういうときでも、良い方法があるのです。

 「欲望」に囚われないようにすることです。

 これは優しいことではありません。それこそ、瞑想と修行の末に、「諦め」という境地になって到達出来るものでしょう。

 諦め、とは、明らかにする、という意味があります。

明らかにするとは、客観的にする、ということに通ずると思います。

従って、客観的に判断出来る人は、慌てず、自我を張らず、相手を傷つけることなく、人間関係をスムーズに、よりよい形で「和合」出来るのでしょう。

、私が、悩み事が出来ると、それに囚われ、苦しむのは、自意識が強いからです。自分を主にして、世界を見ているからです。

自分の心を、信用していないから、不安なのです。自分を信頼出来る人は、

他者を信頼し、世界を信頼している人なのです。

 

今、被災地で、大変な事態に遭遇し、何もかも失って、これから先、どうして生きて行こうかと不安に怯えている人達は沢山おられると思います。

なんとかなるのよ、大丈夫よ、と心が自分を支え、励ましてくれる心を持っている人は、世界を信頼している人なのです。

 自分を信頼し政府を、県を、人々の支援を、原発で働いている人達に、信じ、信頼しているからでしょう。