ヘルシーに生きる

 

 

お鍋と、ダイエットの関係は深いと思う。ダイエットを考える時に、栄養があ

って、ヘルシーなものを作りたいと思うなら、圧力釜や、熱伝導の良い鍋が

必要だ。

油を使わずに、調理する。

ビタミンを壊さずに、無水でゆでる。

ひじきや大豆を間単に美味しく仕上げる。

魚は骨まで柔らかく煮あげる

玄米を炊きたい

野菜のうま味を引き出す料理

私が、最近になって、鍋に興味を持ち始めたことと、

ダイエットとは切り離せない。

昔、身体の調子がいつも悪くて、黒豆ご飯や、玄米食を試した

ことがあったが、続かなかったわけは、まずいのと、面倒だった

から。

母は、妹に勧められて、フィスラーの高価な圧力釜を買ったものの、扱いが難

しい、危ない、といって、使わなかった。

私にも、危険だから使ってはいけないというので、圧力釜は危険だ、という意

識が染みこんでいた。

私達がまだ子供だったころ、母は、無水鍋を売り込みに来た人から、アルミの

大きな無水鍋を買った。この鍋は実際に使っていたと思うけれど、茶碗蒸しと

カレーくらいのもの。

母は、訪問販売に弱く、勧められると断れないで買う癖がある。

気に入らなくても、母は買うので、あとで、失敗した、とぼやくことばかり。

私は学習しない人だ、とその頃は、母に反発ばかりしていたので、母のことを、

同じ事繰り返して、学習しないなあ、と。

父にも、

「お前は買って、これは良い買い物をしたと言ったことがない。えらいものを

買ってしまった、としか聞いたことがない。」と。

母の正確に批判的だった私が、最近では、母を理解するにつけ、とても母のよ

うにはなれないと尊敬の念を抱いている。

母が言ったことがあった。

「買ってあげると、喜ばれるから。売っている人は、それで生活しているのだ

から、売れないと困るのよ。だから買ってあげたくなる。一生懸命、買っても

らおうと勧めてくれるから。」

母は、圧力釜も、無水鍋も、その上に、家族に為に、栄誉の優れた、美味しい

料理を作ってあげたいと思ったことだろう。

実際には、忙しく、料理をする暇もない母が、短時間で、間単に、栄養を逃さ

ないという宣伝文句も、説得力があったにちがいない。

服では、似合いますよ、と言われれば、買ってしまう。売りたいのだろうと、

思うから。

母は、食事に拘らない。私達が食べたいものを優先する。

いつもいつも、自分よりも、家族、愛する人達、自分を世話してくれる人達に

心配りをする。

お金も、物も、あげたくて。、

病院で、働いている掃除夫に、冷蔵庫の冷たい飲み物や果物をあげる。施設の

職員にも、同じ。家族にも、私にも。

持って行ったものを、母は、包むものを探して、私に持って帰って、と差し出

す。施設のホーム長が入ってくると、持って行ったものをそのまま、あげる。

弟や妹達が来ると、食べてもらおうと、自分は食べようとはしない。

母の人生は、人の為に、貫かれて来た、そして今も。

偉いなあ、と私は今頃になって、感心している。

母は無心に生きている。私には、とても出来ない。

お鍋の話しに戻れば、どれがどう良いのか、どれが得なのか、品質から価額ま

で、拘って、それが、全て自分の為なのだから。

書いていると、脱線して、母が登場して、自分の浅ましさに行き着いてしまっ

た。

でも利点はある。

 比較検討する癖がついて、品質の違い、効率の違いを、調べることが、楽し

い。母なら、そういうことは鬱陶しいと言うだろうけど、私には、頭の体操で

あり、夢中になり、我を忘れていられる時間でもある。

年を取るということは、一人でいる時間をいかに楽しめるか、ということにも

繋がる。いつも誰かと一緒にいないと不安な人がいるけれど、だんだん、一人

になっていく。一人遊びが出来る訓練は、早いうちにしておかないと年を取っ

てからでは、難しい。

一人で、自分の為に、料理すること、美味しく、ヘルシーに、楽しく出来ること

は、これから先、大切なことではないかしら。

料理をすること、献立を考えると、呆け防止にもなるというデーターも。