母と有馬に

 

元旦から、一泊で有馬の「グランリゾート有馬」に母と一緒に、私の車で。母を迎えに行くと、ダイニングルームで、他の入居者と、書き初めのお習字。

私が、これから有馬に行くのよ、と言うと、母は

「遠いのに、二人で死んでしまったら、どうするの?」

と心配する。

「20分で行くから。」というと、

安心するのだが、また同じ質問を繰り返す。

 快晴で、心配していた雪もなさそう。

 有馬は、2年ぶり。ホテルに着くと、母は、なんとなくここに来たことがあるわね、とぼんゃりと覚えていた。

 洋室は、予約で一杯なので、簡易ベッドを入れてもらっていたら、すでにお布団が引かれてして、部屋の椅子を入れると、一杯という感じ。

 お風呂は、長く入らないように言われていたので、着くと、夕食の前に、まだ空いている頃なので、お風呂に誘った。

 部屋は暑くて、廊下に出ると、凄く寒い。お風呂場も寒い。中から出て来た人が、洗い場が寒いので、赤湯の側に座らないと、我慢できないと教えてくれた。

母は以前とは違って、大分弱っている。お風呂の湯船に入るにも、普通に入られなくなっていて、一旦、お尻をつけて、足を一本づつ入れて入る。施設で教えてもらったように入るようになっている。

 気持ちが良いと喜んでいるけど、以前のように、長く浸かっていてはいけないので、5分くらいで、外に出し、身体を洗って、頭を洗い、また湯船に。今度は少し慣れて、上手に入れた。

 普通なら、すっかり暖まって出るのだけど、早い目に出たので、私はすっかり冷え上がってしまった。母は、それでも身体が暖かくなって、ぽかぽかしている。

 夕食は、ものすごく多くて、とても食べられそうにもない。

 母も不味いね、美味しくないね、と言いながら、それでも結構食べていた。

私は、有馬が、こんなに不味くなったのか、と思いながら、食べていた。

 他の人達は、美味しそうに食べている。

 私の口が肥えているからなのかしら、それとも料理人が下手になったのか、と思いながら、なんとか食べ終わって、デザートは部屋に運んでもらった。

 母は、もらって、もってきたみかんが甘くて美味しいと喜んで食べ、デザートも全部食べていた。

 夜、母は、眠たくないというので、11時前までおつきあい。それから寝ると、私は苦しくて寝られない。時間は随分経っているのに、喉まで上がっててくる。母を見ると気持ち良く寝ている様子。

とうとう我慢できずに、トイレで、吐いた。吐くと、すっきりするのだが、そうはいかず、胃が痛く、背中まで痛む。

 翌朝、お風呂に母を連れて行くのも、やっとという感じ。胃が痛い。吐き気がする。

朝食は、豪華なおせち。全く食べられなかった。

 母は少し食べていた。

私の胃は完全にやられてしまって、水もわずかづつしか受け付けない。

3日は、友人宅におよばれの予定だった。私の為に、掃除やお布団干し、食事の準備もしていてくれるのに、本当に申し訳ないけど、朝すぐにメールで断った。

 前夜から降り出した雪が、やんで晴天になっていたが、道は雪が積もっている。

恒例のお餅つきがあり、しばらく見ていたら、寒くて、部屋に戻った。服に着替えて、母に、つきたてのきな粉餅を食べさせてあげようと、階下に行くと、すでに終わっていた。

 チェックアウトをして、外に出と、車はすっかり雪で覆われている。

しばらく、手でかいていたら、お湯をもらいなさいと。

お湯を、かけてもらって 雪を溶かして、帰ってくると、こちらは全く雪がない。

途中にある、越木岩神社でお参りして、母を施設に送り届けた。

まだ雪が残っていて、迎えに出た職員が、びっくりしていた。

 昼食は、用意してもらっていたので、母に食堂に行ってもらい、私はその間に帰ろうと思っていた。母の部屋で、片付けをして、階下に下り、看護師さんに、お願い事を言っていると、母が食堂から、口をもぐもぐさせながら、出て来た。

「心配で心配で仕方がなかったのよ。」という。

「今日は帰るわね。大丈夫だから。安心しててね。」

「また、すぐに来てくれるでしょ。」と母

職員の方も、すぐに来られますよ、と。

 私は自分の胃が痛くて、早く家に帰って、友人宅に電話でも断りを入れたかった。メールの返事がないので。

 母は、有馬のホテルで、私といて、楽しかったようだ。部屋に出入りする度に、母には初めての部屋になる。私がちょっと出てくると言っても、心配だからついていくと言う。

母の心配は「死んでしまったら、どうするの。」に決まっている。

どろぼうに殺されたら、どうするの?誰かにコツンとやられたら、死んでしまう。」

二人で、いると、母は安心している。ゆっくりして良いわね、と。

これから、出来るだけ、母をこうして、連れて来てあげようと思っている。

 あまりお風呂に入れなくても、解放される気分が、母にはこう薬なのだ。話し相手がいるのも、一緒にいるという安心感も。

「 どこも悪くないから、こうして来られるのは、本当にありがたいわ。死んでしまったら終わりだわ。何もなくなるのよ。」と母は言う。

 そう、一日でも、長く母には生きてもらって、楽しいことを重ねてほしい。

昨日は、母を送って、家に帰ってから、絶食のまま、18時間の寝ていた。まだ、食欲はない。水分は少しづつ取るようにしている。

友人のおよばれには行けなかったけれど、玉三郎の「牡丹亭」を、BSで観ることが出来た。縁があるのだな、と思う。全く予期してなくて、いつも、観たいと思う人に巡り会う。

いつもそうなのだ。不思議だなあ、といつも思う。