年忘れ

 

 午前中は、天気が持ちそうなので、朝、母を迎えに行き、車で、お墓参りに行きました。  母は、お墓のある川西まで、遠い、時間がかかる、といい続けるので、私は、そのたびに、1時間ぐらいで行けるわよ、と答え続けなければならない。

 「お財布を持ってこなかった。」と言い続けるので、「お母さんの財布は預かっているのよ。ご心配なく。安心しててください。」と言い続ける。

 息子はいつ帰ってくるのか、息子はアメリカが好きなのか、日本とどっちが好きなの?これを繰り返して、聞く。

「アメリカで働いているから、帰れないの。」

「え、働いているの?」と驚いて、また、同じ質問を繰り返す。その間に、子供がいると、可愛い、可愛い、と子供の姿を、車の中から。

 店の前で立っている人に目が行くと、

「あら、あの人あそこにいたわ。良く見るわ。いつもあそこで立っている人だわ。」

母の頭は、くるくると働いている。

 食事を食べたことはない、と本気で思っていて、お菓子を少し食べて、生きているつもりでいる。介護をしてくれているスタッフも話の中では存在しない。食事を食べたことがないと信じている。

「じゃ、どうしてそんな肥えているの?」

「なんでかな。そのへんのお菓子をちょと食べてるからかな。」

 私は運転中なので、そちらにも注意を払っていなければならず、かえって、それが,母の話し相手になるには、楽なのだ。適当に、同じように、繰り返していれば良いから。

 途中で雨が降り出して、車は数珠つなぎ。お墓に着いた頃には、みぞれが降って、足下が危ない。母は、車の中から拝んで帰ろうと言う。

「わたしだけ、お墓に行ってくるから、ここで待っていて。」と言うと、私が心配で、ついてくると言う。

 みぞれは、牡丹雪に変わり、討ち入りのように辺り一面、雪が、斜めに降りしきる。

 母には、傘を持って立っていてもらって、手早く、花を変え、ろうそくをつけて、持って行った、お香の線香に火をつけて、母に持たせて、拝んでもらった。

お供えも、袋のままで。

 早々と、切り上げて、待合所の中に入り、暖かい飲み物をかうつもりだったが、ほとんどなくて、コーヒーを買うと、まだ暖かくなかった。

 帰り道も、車の中で、同じような会話が続く。その上、送ってもらわなくてもこの辺から帰られるから、というのが付け加わる。相変わらず、車は混んでいる。会話はだらだら、車はだらだら。

 「

お寿司の、函館市場で、お寿司を食べた。母は美味しい。、美味しいと喜んでいたので、しばらくは覚えているのかと思った。

施設の近くにある、生協に行くと、母はまた驚いて、

「へー、こんな所があったの。広いね。」

最近は、寒いので、いつも母をここに連れてきて、ぐるっと歩き、散歩代わりにしている所。母には、何度来ても、初めて見る新鮮さがある。

 弟のお嫁さんの姿を見つけたのは、母の方。

「あら、あそこに。」と。

弟夫婦が昨日来てくれているのだけど、記憶にないので、

「まあ、珍しい。こんな所で会うなんて。」と懐かしそうにしている。

母はもうすでに、昼に何を食べたのか、覚えていない。

 彼女は、近所のお友達と顔を合わせて、そちらに方に。

 母のヨーグルトを買って、施設に送ると、迎えた介護師の男の子に、嬉しそう。

母は、博士よりも、少しは長く覚えているけれど、その場にいないと、誰が誰だから、わからなくなるようだ。

母がしっかり、その場にいなくても、覚えているのは、私の息子だけになりつつある。

弟のことも、お父さんと、混同している時がある。

 昨日、弟が来たことを、お父さんが来ていた、という風に。混同するのは、考えようとして、こんがらがってくるからかもしれない。

 母には、母の質問に、根気よく答え、母が望んでいるような、答えをすること、母の話を、真実として聞くこと、心配していれば、大丈夫、安心していて、とお願いするように。

 母は、出れば、顔が生き生きとしてくる。頭が働き、話し相手がいて、話しっぱなしなし、好奇心のアンテナが張るからだし、そういうもろもろの結果、気晴らしが出来て、内面のストレスが解消しているのだろう。

これは、認知症の母だけではなく、誰にでも通じることのように思う。

母は、皆様よりも、いち早く年忘れを達成しているわけです。

 暗い一年だった方、苦労の多かった方、すっかり、年忘れをして、新しい年を迎えましょう。