ノルウェーの森

 

 ノルウェーの森は、映画化されて、あれほど話題をさらった原作なのに、私は、読んでなくて、弟が、凄い傑作だと、騒いでいたことが頭にあって、世界中で翻訳されて、ノーベル賞作家の未来形、呼び声も高く、不思議の森に入るような期待で、透明に近いブルーな気持ちで、「ノルウェーの森」を見に行った。

 映画は、原作とは分野も、描き方も全く違うから、原作を読んでから、映画を見て、がっかりさせられることが、少なくはないのだけれど、「ノルウェーの森」は映画を、監督の目を通して、監督の思い入れをフィルターにかけて、見るので、映画としての感想しか、私の頭には入っていない。

 主人公の学生は、割り切って生きる友人、生きることが苦しくなって自殺した友人、愛の対象者を奪われて、生きる柱をもぎ取られた女性を愛するが、愛し抜くという力を持っていない。愛が傷つけられ、苦しみに苛まれても、それを受け入れ、また次に、いつやってくるかもしれない、苦しみを甘受しながら、生きていく以外に、彼が生きていくすべを持たない。

流されて生きていくしか、それ以外に、彼の道は存在しない。彼は、一人の女を愛し抜くことは出来ない。彼女を愛していると、そう思っているけれど、他の女性にも、同じように、愛している。惹かれる。彼の、弱さなのか、欲望の泉なのか。

 彼は、森の中で、逃げる愛の対象を追い、彷徨い、風にあおられて、身体を小さく埋める。世の中の、外界の重さ、苦しさに、殻の中に、身をかばうように。こうして、目的もなく、愛を求めても、愛の確信を持てず、奪い去られれば、身が痛くて叫ぶ、嵐が過さるまで、感覚もなく、空白の心を埋めるすべもなく。けれど、愛は持続しない。休めた羽でまた飛び立とうとする、心と身体。

 死を撰んで、この世に決別した、若者達は、永遠にそのままだ。愛し、愛され、希望の中に留まっている。

彼は、森に留まることは出来ない。北欧の最果ての、寒々しい、ノルウェーの森のような、混沌とした、森を彷徨いはするが、その懐に、永遠に留まることは出来ない。彼女のように、彼のようには。

ジョンレノンは、永遠の世界に留まっている。熱狂的にジョンを愛するフアンの凶弾に倒れて。

 ビートルズの音楽がバックミュージックで流れていた。 ジョン、レノンは、永遠に、あの時のあの若さのまま。