枚岡神社で、奉納演舞

 居合道場を開いてる友人がいる。

枚岡神社の境内で、奉納居合演舞を披露するというので、観に行った。

枚岡神社は、瓢箪山の次の駅で、あたりは店がなく、ひなびた風情が漂っているが、由緒のある神社で、前夜は、薪能が催され、10月の中頃にある、秋祭りには、随分沢山の人で賑わい、御神輿が出て、盛大なお祭りがある。

 春日大社から赴任してきた、神主さんの挨拶があり、この神社で、12月25日に、特別の行事があるとのこと。

 朝の10時から、神社に勤める人達が、神社のしめ縄の前でに座して、『笑う」儀式があります。天野岩戸に隠れていた、天照らすの神の話は、誰でも知ってますよね。

 外から、人々の笑い声が聞こえるので、何があるのかと、岩の扉を少し開けると、暗黒だった世界に、光が差し込み、世界が明るくなったと言う話。

 あな、おも しろ、という言葉は、あなたの、顔が、白い、というところから、「ああ、面白い」という言葉が生まれたとか。

 健康に、『笑い』と『祈り』が大切だと言われるようになって、この神社で、12月25日に行われる、行事に、人が集って、「わっは、わっは」と高笑いをしませんか、との提案がありました。

 

神戸から、近鉄につながっていて、奈良まで行けるのだそうですね。その途中に、

この枚岡神社があります。楠木正成ぼ神社として、有名です。

 枚岡から、瓢箪山の友人の家まで、歩いたのですが、この辺は、古戦場の後とか、

歴史を感じる、石垣や、土塀、細い道の側を流れる川、道ばたの花々など、散策を楽しむのも、素敵な所です。

さて、奉納居合い演舞です。

 380年余り前から伝わる、古式流の居合いで、あらゆる場で、様ざまな、手法で、敵を殺す方法論を、形式と演舞で披露するという趣向です。

お弟子さんは、お年寄りから、若い人まで、女性の方も一人。

晴天に恵まれたのはいいけれど、舞台は、まともに日が当たり、暑くて、大変だったことでしょう。

その後に、和太鼓の演奏があり、青年から、小学生までの演奏で、迫力があり、コンサートを常時行っているそうで、海外にもよばれて、演奏に出かけているそうです。

伝統芸能を、若い人達が、継承していっている、こうした地域があるのは、その土地の歴史とそこに息づいている、人々の精神的風土によりものでしょう。

より所のある、若い人達が、これからの日本に増えていくような、地方独自の行政が望まれます。

 ここで観る限り、皆、力を合わせて、一つのハーモニーを醸し出す為に、心を添わせ、達成感と連帯感を感じながら、住民が共生の喜びを感じられるように思われました。

昔、土地を守る為に、命をかけて戦い、死んで行った人達が、礎となって、後に生きる人々が、幸せな生活をおくれるように、平和な世界を創っていけるように、と、

枚岡神社は、楠の木に守られて、その存在意義を高めていくのではないでしょうか。

打ち上げで、飲み会があるご主人、友人と私は、上六まで出て、夕食を取ることにしました。

上六は、歌舞伎座が、出来上がって、近鉄デパートとショッピングセンターがあり、この駅に来れば、まるで、違った世界のよう。

何から何まで、揃っています。瓢箪山は、不便なのだと、思い込んでいたのだけど、とんでもない。近鉄で15分で、難波にも出られれば、神戸にも直通、奈良は、目と鼻の先。

 足が悪くなっても、駅からタクシーで、ワンメーターなので、年取ってからでも、暮らしに心配ない。

上六の近鉄デパートの上で、食事をして、別れぎわ。

『私は、帰ったら、10時になるわ。」

実に、不便な所に住んでいるのだ、と。同じように、坂の上に住まいしているもの同士なんだけど、違いは大きい。

 奈良、京都には、2時間、神戸,大阪には、1時間以上かかる。

石切神社が近いという、近鉄沿線の瓢箪山は、田舎だと思ってたら、私の住まいの方が、遙かに、ど田舎でした。