敬老の日

敬老の日

 

 昨日は、ホームで、秋祭り。

 私が行った時には、行事が丁度終わった所で、職員の女性達は、浴衣姿で、華やかな雰囲気が漂っていた。屋台が出て射的や、ヨーヨー釣り、かき氷、等。

 最後の締めは、みんなで盆踊りだった。

母の部屋に入ると、いつものように、

「あら、来てくれたの。全然わからなかったわ。」

久しぶりだね、と言う時もあるし、予想していなかったわ、と驚きの表情をするときも。以前は毎日行っていたけれど、最近では、隔日か、忙しい時には、中二日になる時も。

母は相変わらず、タンスの整理をしている。タンスの中の衣類を全部出していた。

「もうそろそろ帰ろうと思って、片づけているの。こんな所で暢気にいてられないから。家が、2軒あるでしょ。あそこに帰らないと。ピアノも、2台か3台か、あるの。Kタン、いつ帰ってくるの。」

母は毎回、このせりふから始まる。

「まだ、まだよ。」

「アメリカがそんなに良いのかしら。帰ってくれば良いのに。で、何しているの。」

「働いているのよ。仕事している。飛行機の試験が、来月になったから、帰れないのよ。」

母は聞きながら、「そう、早く帰って来れば良いのに。」

と言ったかと思うと、すぐさま、

「家が2軒あるでしょ。もう帰ろうと思うの。ここにいつまでもいるわけにはいかないわ。

もう私もいよいよ弱ってきたから。かたづけておかないと。

Kタン、もう帰って来る?あんた、いいわね。Kタンが帰ってければ、賑やかになって。

 素晴らしいお嫁さん連れて、大事にしてくれるお嫁さん。

家が2軒あるでしょ。

帰って来たら、Kタンにあげようと思うの。 あんた、いいね。帰って来たら助かるわね。」

こういう調子で、毎日、毎回、この会話。会話らしい会話になっていないけれど、母の質問に、同じ答えで、何度も、何度も。

トイレに、ヨーヨーが2個つってある。

「お母さん今日は楽しかった?」

「なにも楽しいことなんか、ないわ。」

「お祭りだったでしょ。踊ったの?」

「そういえば、誰か踊ってたわ。」

今日は、頭が冴えている。思い出すことが出来た。30分はおろか、10分まえのこともすっかり忘れていることが多かった。

「何も食べていないよ。」と食事を忘れている。

「誰か来た?」と訪ねると

「ここへは、誰も来ないよ。来た事ないわ。」

けれど、誘導すると、最近では思い出すようになる。

「そういえば、」と。

 塗り絵も、持続力が出て来て、綺麗に仕上げるようになっている。ダイニングで、和気藹々と楽しそうにしている。音楽に合わせて、歌っている。

「ここは安心でしょう。一人でいるよりも、ここの方が良いよ。」と言うと、母は

「ここは気楽で、良いわ。食事も作ってくれて、なんか食べさせてくれるし、男の子が時々入って来て、なんかしてくれるの。」

「じゃ、ここに居たら?」

ここに居ると、ストレスがない。いつも誰かがいてくれる。食事は一緒に。テーブルの人と、会話まではいかなくても、話す相手がいる。

私が、冷蔵庫の中が寂しいからと、持ち込んだ食べ物で、お腹周りが大きくなって、体重が増えてしまった。

夏の間、外に出られなかったので、運動不足も手伝って、体重が増えて、足腰に負担がかかるようだ。加減しないと。

いたれるつくせりとまで、というところなどは、何処にもないにしても、私が、寝てもあけても、母のことを何とかしてあげないと、と辛かった思いから解放されて、私のストレスも軽減されている。

元気で長生きの秘訣に、母の今の生活形態が良いのだ。

「長生きするわよ。お母さん。まだまだ、大丈夫よ。」これが私の、母への繰り言になっている。

 一人暮らしをしている、叔母には、浜松の鰻を送った。何回分か、ご飯があれば、鰻重になる。元気がつくから。早速、着いたという電話が。叔母の話を聞く。

 162センチあった背丈は、骨そしょうで、154センチに。

話し相手がいない、食事も美味しくない、テレビもおもしろくないとぼやく。体重が37キロになってしまった、と嘆いている。何時死んで良いのに、というのが口癖になっている。

叔母に、ホームに入れば?と勧められない。それぞれの生き方がある。

今日は、ホームで、『蕎麦打ち』の実演があるらしい。敬老の日、なので、蕎麦のプレゼントなのでしょう。

母の笑顔が、目に浮かぶ。