オモニ「母」を読んで

 

 やっと、読み終えた。

羹尚中作「母」の中で、最も心打たれた箇所は、永野テツオという日本名を脱ぎ捨て、本名の羹尚中、を自分の名前として、生きていく決心をした時の、言葉だった。

「どんなところに生きていても、陽は昇り、そして陽は沈む。変哲もないありふれたことだ。でも、その当たり前を当たり前として思えなかったのは何故だろう。そうだ、ありのままでいいんだ。ありのままで父と母が子の国で生まれ、そしてわたしは偶さか日本で生まれた。ただ、それだけのことじゃないか。ならば、ありのままで生きよう。」

 韓国人であることに、引け目を感じ、韓国を否定して、卑屈になっていた自分が、心を解き放ち、自由になった。

「心の中で閊えていたものが少しづつ、消えて行くような爽快感がじわーっと広がっていくようだった。やっとわたしはオモニの故郷に降りたっていることを実感したのだ。」

カミングアウトすることは、生やさしい事ではない。誰しも、人に知られたくない部分を持っていて、それが弱みになっている。その弱みに、自分が支配されている。

そういう自分に打ち勝つことで、ありのままで生きられる。心が解放され、自由になる。

私が子供の頃、家から、橋向こうに、白いチョゴリを着て、髪をひっつめにして、いつも開いた土間の奥に、座っている お婆さんがいた。

 時に、何人かが集まって、大声で、泣きながら、なにやらやっていた。

それが、この本に中に出てくる、オモニ(母)の先祖供養だったのだろう。

 

 家の近くにも、そういう家があった。そこは屑やさんだった。土間が空いていて、一日中、お婆さんが、白いチョゴリの下で片膝を立てた格好で、座っていた。

 アイゴー、アイゴーと泣きながら、座っていた。

「母」を読んでいると、すっかり忘れていた、昔の情景が浮かんできた。

羹さんは、そういう環境の中で、育ったのだと。

本の中で、字の読めない母は、録音テープを残す。

「オモニたちは、昔からの仕来りば守ることで、何とか日本でも生きていけたと。

もうこれからは、ニホンもチョウセンもなか時代になるど。」

実際、昔、目にした光景は、どこにもない。ニホンもチョウセンもない時代になっているように見える。

けれど、本当にそうなのだろうか。

羹さんは、最後に、こう締めくくって終えている。

「すべてが変わり、そして変わっていないように見えた。フーッと深い息を吐き出すと、頭上はるか遠くで、鶯の鳴く声が聞こえたような気がした。」

目に見えるものは、すっかり変わっても、隠された部分で、何も変わっていない。

沖縄への、差別的負担の上に、本土の日本人は、なんと無神経なことだろう。

戦後2年経って、天皇が、アメリカに、沖縄をアメリカの占領下に置いてほしいと、頼んだと、東京大学大学院の高橋教授が語っている。中国、朝鮮への侵略の責任者である、天皇が、報復の脅威を免れる為に。

 まずは、身近な、沖縄問題を解決しなければ、そこから始めなければ、変わったとは言えないのではないだろうか。