吉田堅治先生を囲む人々

 

 吉田堅治先生、というよりも、私には吉田さんとしてのイメージが強い。

吉田さんのお誕生日、5月24日に、かつての教え子達が、吉田先生を回顧する会を催された。

 日本に帰ると、吉田さんは、各家を回り、消息を訪ねられた、と、吉田さんの甥の奥様から聞いた。帰られる度に、一同が、吉田さんを囲んで、会を開かれた。

 

 それ晩年のことなのだろうか。それとも、毎年のように、であったかはお聞きしていないからわからない。

 奥様と、10年間一緒に、パリに暮らし、その後に、私は吉田さんに、初めてお会いしたので、それ以前のことは知らない。

 毎年、沢山の日本人が、吉田さんを訪ねて来られた。

出席されていた方々のスピーチにも、伺える。

吉田さんは、言われていた。

学校で、勉強なんか教えてないよ。自由に絵でも、なんでもさせて、外に出て、好きなようにさせた。他の教師からは言われることなんて、全く気にしなかった。

教え子だった、中馬さんのスピーチにも、そういう先生の思い出が語られた。

 吉田さんは、「生かされた命」とおっしゃる。特攻隊に志願した1人だった。学校校の先生が、

「吉田、行くな。行かせたくない、」と必死に止めたのに、吉田さんは、逆らって志願した、とおっしゃっていた。

 戦争に突入していった時代、暗黒時代、市民は、自由に言葉を使うことが許されなかった。画家や、演劇、文筆家に、知識人、思想家が、投獄され、獄死した人も。

 吉田さんの絵画は、様々な試行錯誤の上に、黒と白の世界に至ったといわれる。

黒はあらゆるものを吸収し、白はあらゆるものを外にはき出す。このどちらもかけても、なりたたない。二つの色は、時に反発しながら、切れない関係を持っている。

この黒と白が、行き着くところは、金。

 吉田さんの生き方は、まさに、吉田さんの色の模索と同じだ。

訪れる人々を、隔たりなく受け入れ、吉田さんの存在の極限に至るまで、力を尽くして、お世話をしてくださる。

 見返りを求めない、無償の愛を持って。吉田さんとの関係は、無限に。亡くなられてから、さらに存在感は、果てしなく大きくなっていく。

吉田さんは、言われる。

何も考えないで、吉田さんの絵画を見れば、吉田さんの想う所がわかるはずだ、と。

祈りの果てにあるもの、それは神の啓示。それを、吉田さんは、主観と客観との合した存在としての「人間」あるいは「市民」だと言われる。人間は、神の「表現者」なのだ、と。

 吉田さんの絵画は、主観と客観とが、ぶつかり、衝突しながら、一つに解け合い、調和を持って、共通の世界を表現している。

 大英博物館のスミスさんは、吉田さんの作品は、ゴッホのようだ、「先を行く絵画」だと言われる。宇宙を表現し、宗教的でもある、と。

 今までにない、未来を描いている、と表現する人もいる。シャーマンだという人もいる。

 それらの言葉表現は、吉田さんの求める、「平和」と「命」が、神の啓示であり、それが絵画に表現されていることを物語っている。

吉田さん、という、日本人としての(主観)から、パリの市民(客観)の中で、長い間の葛藤と共存という体験の元で、築かれたものだと思う。 その根底には、人々の戦争時における「権力の弾圧」への、憤りと自由への希求がある。