オクトーバーギャラーに行く前に、吉田さんのご家族が泊まっている、ホテルに寄ってみたら、お二人ともおられた。私の時間が間違っていて、始まりは7時半から。
美味しいお紅茶を入れてもらって、アーモンドクッキーをいただいたら、空腹がおさまった。今日は、お昼抜きだったので、映画が終わる時間まで、お腹が持つかなと思っていた。紅茶が美味しかった。私はコーヒー党なので、コーヒーばかり飲んでいるけど、ロンドンは、紅茶が一番美味しい。
娘さんの入れ方も上手なのだけど。一緒にいると、ほっとする人達。初めて会った時から、旧知の仲のように、接してくいださって、吉田さんもそうだけど、共通するものを感じる。
吉田さんは、いつでも、誰でも、アットホームに迎えてくださった。自然に。
オクトーバーギャラーに行くと、大勢の人がすでに来て、奥の部屋にいた。入場料は、5パウンド。私達は、ドネーションだけで、といわれた。
上映は、階上の広い部屋で。
ロンドンギャラリーのオーナーに続き、この映画を制作した、イシュマエルさんの挨拶があった。
暗くなり、スクリーンに、吉田さんが映し出された。緊張気味の吉田さん。カメラのインタビューに答える吉田さん。
日本の戦争時のフィルム、原爆の被害者の無残な映像も入っている。
オクトーバーギャラリーのオーナー、大英博物館のスミスさん、画商の オゼさん、3人とも、吉田さんの絵画を、評価し、吉田さんの絵画に光をあてた人達。3人のインタビューに加え、尺八演奏家の福田さんという人のバックグラウンド演奏とインタビューが入っている。その間に、吉田さんの絵画が。
パリのアトリエで、カメラ撮影の為に、大きな絵画を動かす、吉田さん。オブジェをおどけて、パーフォーマンス。
ロンドンで、墨で一気に書きあげる、様々な、形。心の様を、動きに変えて、出来ていく、未知の形と、濃淡、ロンドンの人々は、驚嘆をもって、見つめている。
若く、エネルギッシュな吉田さんの姿。
奥様のひろこさんと、結婚式の写真なのか、パリで、1976年の頃の写真では?
美男美女のカップル、パーティーでの写真。幸せそう。
メキシコの展覧会での映像や、お墓での吉田さん。そして、お葬式の映像。
いつも吉田さんが、言われていることを、映像で見ていると、吉田さんと一緒にいるような感じがして、最初は、懐かしく、嬉しく、楽しい思い。だんだん、胸が詰まって来て、「もう一度、会いたいなあ。」という思いがつのる。
言われていることは、いつも吉田さんから、聞いていたことばかり。
吉田さんとお話していた時に、撮影に来た話は聞いていた。注文に応じて、吉田さんがパーフォーマンスをされた、と。
映画は、吉田さんが、見ることはなかった。
最後場面は、感動的だった。
吉田さんの作品が、次から次に、まるで、打ち上げた花火が、次から次に、消えては、新しく、重なって、現れてくるように。目を奪われるような世界に。
私の好きな映画「ニューシネマ、パラダイス」の最後のシーン。監督は、映写士、アルフレードから託された、フイルムを撮影する。
カット部分の映画の「愛」を形としたキスシーンをつなぎ合わせた映像が、次々に現れ、重ね合って行く。あのシーンのよう、感動に胸がいっぱいになって。
吉田さんの人生、吉田さんの命、
「私が命を与えられ、今日まで生きて来ました。命はどこから、というと、神様からいただいた、としか考えられません。神から与えられた命は、神の姿、形、心であるので、 人種や、偏見を超えて、人間が等しく、与えられた、命は、共通の理解へと、到達出来うるもの。吉田さんが、念じ、描かれた作品に、吉田さんが、受け取ってほしいと望む「命の形」は、人類のすべての人達が、狭く囚われた世界から出て、受けとり、分かち合うことが出来る。それが世界(命の平和)だ。」
吉田さんの絵画の4分の1でも、日本の美術館に納めたい、というオゼさんのメッセージが印象的だった。
「 日本人として生まれ、フランスに受け入れられ、、日本人としてではなく、人間としてアーティストとしてアトリエを、「生活」を、吉田さんに取っては、絵画を自由に描き、創作出来る基盤を」与えられたのだから、ここで骨を埋めるのが、本当の姿だ。」 と
吉田さんは、おっしゃっていた。
フランスの地に、骨を埋めても、吉田さんは、日本人だから、50年先、きっと日本で、自分の作品に光が当たるだろうと、と。
オゼさんのいうように、吉田さんの作品を、日本の美術館に、と私も願っている。
日本人の画家で、こういう人がいる。日本美術館が、海外からの輸入品ではなく、
吉田さんの絵画を、常設するようになった時に、初めて、日本の美術は、偏見を超えて、現代美術「作品」を世界に紹介出来る美術館になりうる、と私は思う。
吉田さんを紹介する映画を、日本で上映出来ないだろうか。是非、見てほしい。