ロンドンは、ぱりよりもずっと寒かった。
下着用のダウンを着込んで、オクトーバーギャラリーを目指して歩く。桜の大木がとても美しい。ビクトリア調の建物など、雰囲気が、パリとは一変する。
歩いて10分くりで、オクトーバーギャラリーについた。大きな病院の前だから、わかりやすい。
ギャラリー、カフェ、劇場まである。
吉田さんから、この建物は、アメリカンスクールだったと聞いていた。宿泊施設もあるので、吉田さんはロンドンに来ると、ここに泊まっていると聞いていた。
中庭を囲んで、ギャラリーがある。中に入ると、一人だけ、客?がいた。がらんとしている。
娘さんや、私の知っている人は誰もいない。
広い画廊と、その奥の部屋は、昼のカフェにもなっている。二つの部屋に、吉田さんの作品が展示されている。
人がいないのは、幸い、ゆっくりと、見せてもらった。
カフェのテーブルは年代物で値打ちがあると、吉田さんから聞いていた。
小さな絵から、大作まで、展示されている。
すべて、値段がついている。
14日の内覧会に来た人達の名前が、たくさん書かれていたが、その後、人は来ていないのか、名前を書かなかったのか。
小さな作品から、大作まで、いくつか、すでに、緑と赤の印がついていた。内覧会で選んだ人達だろうか。
私は、悲しく、寂しい思いにかられた。
吉田さんの絵画を有名にしようと力をつくした、画商のホセさんも、すでに、吉田さんの後を追うようにして、先月亡くなっている。
お互いに、苦しい思いをしながら、共に作品を生み出して来た、主役は、この世の人ではない。
画廊に身に来た、婦人が、
「美しい絵ですね。」と言った。
作品は、作者とは、もう無縁のものになっているが、作品として、自立している。
ゴッホもまた、このようだったのだろう。
生前は、描くことだけの為に、生き、苦しい人生を送った人達は多い。画家貧乏という。その中で、
世に出る画家は、ほんのわずか。
この部屋で、おしゃべりしながら、ランチを食べながら、吉田さんの絵画を鑑賞しているのだろうか。
それは、吉田さんの望まれることだった。絵を媒体にして、あーでもない、こうでもない、と話してもらいたい。話をするということは、平和の証。対話が出来れば、戦争はおきない、と。
2008年に描いた作品が、6点、入った広い部屋に飾ってある。それも、ユネスコの展覧会用に、吉田さんが、制作されたものに違いない。
黒は薄く、金は、オレンジに近く、薄墨と黄金が、見える世界を超えて、黄泉の世界を思わせる、以前とは違った絵画。吉田さんの、新境地を見たような気がする。
私に、と残してくださった、最後の絵画は、この絵の下書きの色だった。同じ色が背景になっている。
日本の赤である、朱の上に、銀と金をかけている。ブルーを基調にしている絵画のブルーも、色が変わっていた。
黒にも、銀をかけて、薄墨のぼかしになっている。
カメラに残したいのだけど、聞いてからでないと。で明日にでも、許可してもらえれば。