曜日を間違えていた。水曜に日本を出てきたつもりになっていた。水曜にロンドンに行き、水曜に又、パリに戻って来る予定だから。日本も水曜日に、と。3週間の滞在のつもりだったけど、そうではなかった。 昨夜、帰りのバスの中で、指折り数えてみると、パリは12日間の滞在だった。何もできないなあ。
日曜日の朝市に出かけて、おばあさんの店で、卵を4つ買った。おばあさんではなく、中年の夫婦がいた。店がそっくり変わったのかもしれない。ワインのボトルも並べて売っている。それとも、息子さん夫婦だろうか。
おばあさん、亡くなったのかしら、懸念が頭をよぎる。
向かいにある魚屋で大ぶりのエビと、ヒラメを買った。帰りに、パン屋で、半分切ったバケットとクロワッサンを一つ買った。
従姉妹と昼食の約束をしているので、あわてて買い物をすませた。彼女は土日休みで、何もつくらないと言っていたから、中華街に、ラーメンでもどうかと私が誘った。
途中に、息子と行った、ベトナムフォーの店がある。いつでも混んでいる店。
彼女は、まだ入ったことがないという。店の中は満席で、相席に案内された。
私は肉を食べないのだが、従姉妹が注文するので、同じものにした。
「安いから、流行るのよ。」と彼女は言う。
お肉が一杯入っていて、ほとんど肉を残した。
「フランス人は、肉がたくさん入っていたら喜ぶのよ。」彼女は、不満そうに。
せっかくの休みに、意にそわないものを食べてもらって、悪いことしたなあ
「まずくはないわよ。美味しいんじゃない?」繕って言ってくれるが、顔に不満が書いてある。
フォーが、8,5ユーロ、私には、それほど安いとは思えない。肉肉しく、どばっと入っている、というのは、日本では考えられない。申し訳程度の肉、貴重に見える肉しか入っていない。
従姉妹と別れ、書きかけのブログを書き終えると、すでに夕方の5時だった。
その頃から、いざ出陣。
ゴブランの映画館
昨日と同様に、歩く。プラスイタリーから、ゴブランまで歩き、ムフタール街を上っていった。ムフタール街の中華料理の店に、昔来たことはあった。ムフタール街は、観光客で一杯だ。いつものこと、この先を行けば、確かパンテノン神殿に出て行く。
メダル教会という教会の中に入った。ステンドグラスがとても綺麗。
又歩き始めた。ムフタール街の、曰くありげに、つまりゴッホのレストランのように、
雰囲気を醸し出すレストランが目に止まる。
そのレストランの上壁に書かれている。
「このアパートで詩人ポール、ベルレーヌが死す。」
ランボーを愛し、捨てたれた詩人。
やがて、道は大きく開けた。パンテノン神殿までの坂に、アンリー4世高校がある。
神殿のそばに歯、大型のバスが何台も停車している。
ルクサンブルグ公園の緑が見えた。途中の道を右にそれて、ソルボンヌ大学の方に。
やがて、サンミッシェルが見えて来た。
中世美術館のそばにつくられた中世の公園
一つ語学学校に通った、サンミッシェル。
橋の上から、見るノートルダム寺院は、夕日に浴びて、厳かに見える。
そのまま真すぐに歩いて、マリー、アントワネットが幽閉されたコンシエルジュの前を通り、川の対岸から見る景色が、またすばらしい。
ブキニスト(本の出店)はもうほとんど、店を閉めているが、時折、閉まっていく人たちも。
ポンヌフの橋に来ると、映画「ポン、ヌフの恋人達」を思い出す。次に、フランソワ、ミテラン橋、そのあたりと右に折れると、ルーブル宮殿に。宮殿の裏側から、中庭に入ると、ルーブル美術館。
昨日と打って変わって、雪が舞う寒さ。
ルーブル内部から見た、宮殿とピラミッド
ルーブルから、パレロワイヤルまで来ると、時間は7時半を過ぎていた。
プチ窓口で若い人達がチケットを買っている。私もつられて、買ってしまった。
「良い席はありますか?」
「もちろんです。良い席ですよ。」というので、買った。
「ここですか?」というと、5ユーロだから、と。
「お金をもっとだせば、もっと良い席がありますがね・」
サロンで優雅にシャンパンやワインを
たぶん途中で帰るから、いいや。
8時半の開演まで時間をつぶさないと。咳止めに、キオスクで水を買った。
席は、まだ私のはましなほう。もっと奥の人達は、横からほとんど見えないので、体を乗り出している。私も横から乗り出さないと、見えない。10分もすると、腰が痛くなってきた。
舞台は、鳥のコスチュームを着た俳優達が、どたばた劇を展開中だ。もういいわ、と席を立ち、しばらくは、立って見ていた。
帰りは、バスに。楽だなあ。ああ、楽ちんだなあ。全く暗くはなっていなかった。遠くにエッフェル塔のイルミネーションがきらきら輝いている。すぐに暗くなった。
闇の浮かぶ、光のパリを楽しみながら、アパートに帰って来た。)