京都の東山花燈篭

 

 歩かなくちゃ、歩かなくちゃ、行かなくちゃ、行かなくちゃ。

 京都の花燈篭に。

昨年、母と大谷さんのお参りをかねて、京都のホテルに2泊した時に、丸山公園の花燈篭を少しだけ見ました。

 燈篭が、足元を照らし、暗闇の中に、浮かび上がる京都の優美なたたずまい、お寺や、塔の幻想的な風情、来年は、と

思っていた、来年があっというまに来てしまったのですが、

その間に、母の環境はすっかり変ってしまいました。

 京都のホテルに泊まり、母の様子がおかしいとは思っていました。相当のショックを受けていたことが、あとの母の行動で、徐々に判明したわけですが、そんなことは後の祭り。

 今頃、死んでいたかもしれない母が、まがりなりにも、身体の方が元気を取り戻し、母なりの世界の中で生きることが出来ているのですから、そのことに感謝しなければ。

 あれから、一年、京都の知恩院から、清水寺まで、京都の活花各流派が、こぞって活花の競演。石畳の古都京都の門前に活けられます。

 人ではすごく、行き帰りとも、立ったままかな、と覚悟していたけれど、帰りは、ラッキーにも、長岡天神で降りた人のそばにいたので、座ることが出来ました。足も腰も、ぴくぴくと疼くぐらいに。

腰を自力で治せると、頑張りすぎ。2時間以上歩いた。

 高台寺清水寺は、夜の特別拝観を実施しているのですが、待っている人が多いのに、桜はまだ3分、出直す楽しみとして取っておきました。

海外からお客様も多く、随分年を取った人達も、重そうなカメラをぶら下げて、どんな坂、こんな坂を、楽しみながら、歩いていました。杖つきながら、という人を見ると、

「なんでー、これしきのこと」とわが身に鞭打つ気持ちになって、それがまた、自虐的な快感にさえなってしまう。

 私って、誰かさん達が言う「片やわ、アッチャン」書きながら、確かになあ

 そういうわけで、腰がパンパンになるのを我慢して、清水坂から、四条に戻ってきたのですが、夜の京都は、なんといっても祇園でしょう。

 はんなりと都踊の提灯が、置き屋にかかっている。旦那はんらしい人を送りに出来ていた、芸子はんあがりの、おかみさんの、なんと美しい着物姿、とびきりの美人。

 こういう世界とは、無縁だった、父が一度言ったことがあります。

「舞妓はんあげて、祇園で遊んだら、なんぼくらいかかるやろ。百万か、二百万でいけるかな。やってみるか。」

 気が強いのに、こういうことにかけては気の弱い、シャイな父です。ゴルフのキャディーさんに、お年玉を持って行って、渡しそびれてくるくらい。テレくさい。渡せなかった、と気にかけていたことも。

 私を誘って、一度、祇園で、舞妓遊びをしてみたかったのでしょう。興味のい私は、あいまいに聞き流して、父はもういないのです。

 夜のお遊びの、最も日本的で、男はんが認められた、上品な世界が、京都の祇園でしょう。

 置き屋から、家族連れが出てきました。祇園の文化の変っていきます。

 祇園の入り口に、沢山の胡蝶蘭がかるので、なんだろうと思ったら、「花吉兆」の開店祝いの花々です。

 坂田藤十郎、井上八千代、村田製作所の社長さん、など、

京都にゆかりの常連さん達からのお花ですから、胡蝶蘭もとびきり上等のものばかり。

そうだ、テレビでやってたね。吉兆の息子さんが、新しい吉兆のスタイルで、店を出したことを。

 昔ながらのスタイルでは、もう集客は出来ないのだと。

 最も変らないはずの京都が、そのスタイルを変えていく。

国際化されていく、京都を目の当たりに見るような気がする。

南座まで来ると、なんと、なんと、亀治郎さんが、猿之助の18番、7変化を演じています。中村獅堂、鴈雀さと、3人のコラボ。

 知らなかった。ラッキーです。早速、帰ったら、買わなちゃ。買わなくちゃ。

行かなくちゃで、出かけて、買わなくちゃで帰りました。<