映画「ジュリーとジュリア」

 

王道のフランス料理本を出版して、わかりやすくフランス料理の手ほどきをアメリカに持ち込んだ女性と、その料理本を頼りに、フランス料理のブログを書いて、

レシピを制派した、女性、二人の生活を、二つの時代で、本を通して、同時進行させるという、面白い映画だ。

飛行機の中で、この映画を見る事が出来たのだけど、私の座っている列の電気系統が壊れていて、馬鹿でかい、大声のスピーカーで、英語版だけしか聞けなったので、

途中で見るのをやめてしまった。音に我慢できなくて。

 西宮ガーデンズの映画館に、プルミエ席があって、通常の値段よりも高いのだけど、時間帯で、通常料金で見られる。映画はプルミエでやっていて、初めて会場に入った。

座席はゆったりして、間にテーブルがあり、前が広いので、通路側でなくても、座席の前を通してもらうのに、こまらない。

 185センチの、陽気で、人の良い、食いしん坊の大女を演じているのは、演技の旨さで、筆頭級のメリル、ストリープだ。この映画でのメリルストリープの演技は、実物がいるので、

それをまねているのだろうけれど、始めは旨いと思わせたが、時間と共に、鼻についてきて、やりすぎの感がゆがめない。

お料理の映画だから、ストーリー性に乏しく、途中退屈してきて、居眠りした場面もあった。隣の女性は、携帯電話が気になるのか、暗闇の中で、見ている。

 この映画を観ての、私の感想は、と言えば、[お料理自慢なんておこがましくて、してはいけない。]と反省したことかな。だって、自己流の簡単なものしか作れないのだもの。それと、フランス料理は、身体に悪いので、出来るだけ敬遠した方が良さそう、と改めて認識したこと。

フランス料理の神髄は、バター。バターとの相性。バターをたっぷりつかって、ワインで煮込み、中身は肉が多い。デザートのケーキも、バターと生クリーム。これを観たからって、フランス料理にはしりたがる、ニューヨーカーは、現在ではいないだろう。ヘルシーな日本料理が持てはやされている、現状では。

 この前、パリで、フランス料理を食べた、あの時の恐ろしさがよみがえる。豚の足、息子は生肉、ガールフレンドは、骨の油、料理だった。こういう料理は、フランス人にとっては、ガストロノミー。

隣に座っている、若い男の人は、大きな羊の肉に、がぶついている。猟銃民族なのだから、肉なら、どんな動物の肉でも、あらゆる部分、骨の骨まで料理する。お魚は、バターとクリーム、オリーブにワイン、香辛料で、こってりしたフランス料理に変身する。フランス料理は、ソースが決めて。ソースは、バターと生クリーム。

 フランス料理のカロリーが、1500カロリーなんて、ざらなのだから。そして、フランス料理には、お金がかかっている。だから、パリのレストランでも、一番値段が高い。高級料理と言えば、フランス料理。

ミシュランの星1つでも、結構な値段。フランス料理を研究することは、お金の浪費でもある。映画の中で、大使館員の妻である、ジュリーなら、お金に糸目はないけれど、安いからと、ロングアイランドのアパートに住んで、マンハッタンまで通勤している、女性が、毎夜、フランス料理とデザートに、挑戦するのには、財政、どうなっているのかな、と不思議。