日浅和美さんの個展「時の軌跡」に思う

 

留守中に、個展の案内状を送っていただいていた。パリ郊外の、画家村に住んでいるアーティストから。吉田さんから、紹介されたご夫婦で、パリに来られた頃から親交のお二人。ノミの市で、サン、ルイのアンティック、ワイングラスを教えてもらって、買うことが出来た。

吉田さんの散髪をするのに、時々来られるのだとか聞いていた。その時も、日本から戻って来られたばかりだった。

 今年の2月に、吉田さんが、亡くなられて、アパートの整理を手伝っておられる。吉田さんのお葬式に参加させていただいた時に、私宛の吉田さんから託された、絵画があったはずなんですと、お話すると、整理の合間に、探してくださるとおっしゃってくださっていた。

 其の絵画は、吉田さんが、病気の治療に日本に帰られる時に、かばんに入れて持参しておられた。吉田さんの鞄の中に、入っていたので、と娘さんが、その後、送ってくださった。絵画の後ろに、私宛のメッセージが、書かれていたので、私あてだとわかったのだ。

 

 個展の案内状は、東京のギャラリーだったので、ニューヨークから帰ったばかりでもあって、どうしようかと躊躇したあげくに、やはり伺おうと、日帰りのトンボ帰りで、東京に行った。東京は、日本の内とはいえ、関西人には、馴染みがなく、交通費も馬鹿にならない。

 格安新幹線チケットを梅田で買った。のぞみの、自由席。自由席は1号車から3号車までで、新大阪が始発だと思い込んでいたら、博多からやってくる。待っている人が少なくて、難なく座れたけれど、京都からは、立っている人がいた。案内状には、地下鉄駅が指定されていたが、銀座なら、有楽町までJRを使うと無料で行けるので、そこから銀座の画廊まで歩いても、そう遠くないはずだ。

車窓からの富士山

 最終日の土曜日なので、きっと会場におられるだろうと思っていた。京都のお茶のセットをお土産に。個展で、よくお菓子などを持参されるけれど、海外から来られているアーティストに、日本茶を持参して行くと、喜ばれる。軽くて、日持ちがするので、持ちかえられるのに。

 今回は、奥様のhiasaさんの個展で、御主人は、お手伝いされている。会場は、個人で借りておられるようだった。

「時の軌跡」というタイトルの抽象画を、テーマとして描き続けて来られた。教会の壁面を使って、壮大なスケールで個展をされた。吉田さんが観に来られて、大層喜ばれ、後継者がいて安心だとおっしゃったらしい。

 一筋の道を、ひたすらに歩み続けることは、大変なことだ。絵画でも、他の芸術的分野にしても、それで食べることは、なかなか出来ることではない。けれど、その道以外に生きるすべを見出さなかった人は、それは神のギフト(才能)ではないか、と思う。

 作品は、透明感があり、素晴らしい。パリのアトリエ17で銅版画を学んだ後に、ノルウェイの給費留学生として、ノルウェイに渡り、世界の美術館に作品が収められている。

白が強調された、透明な作品は、ノルウェイという北欧の地を想像させる。30点の中の、ほしいなと思う作品は完売していた。どれも素敵なのだけど、私は、白が際立った作品に、強く惹かれた。惹かれるのは、皆同じなのだろう。1点、残りの中で、一番ほしいなあ、と思った作品を若い男の人が買われた。買われた人と絵を挟んで、写真を撮られていた。初めて、来られた人のようだった。

20万は、私には、大金だけど、作品に値段をつけるにしては余りにも安い、。油絵で4号くらいの作品。その横に、二つのもう少し、大きな作品があって、それを見ると、なお惹かれた。二つの作品を並べて置かれるつもりで買われたという。

こうして今、書いている間にも、絵画の威力が鮮明に焼き付いている。壮絶なまでに、画家として生き抜いた、吉田さんには、奥様の支えに、お酒という気晴らしがあったし、破天荒で我儘な生き方があったけれど、彼女には、ストイックなまでの真面目さとひたむきさが、ひしひしと迫って来る。芸術家どおし、長年、共にお互いを認め合いながら、共に生活するのは、難しい。我儘な人格がぶつかり合い、きしみあう。

 このお二人には、それが全く感じられない。ゆるやかで、おっとりしたご主人と、それを優しく支える、ごく普通の奥さんのような雰囲気を漂わせておられる。質素でつつましい生活。それだけに、内に秘めた情熱の深さが、作品の中で結晶しているように思えた。

 絵を描き続けておられるのは、周りの支えがあってこそ、と感謝される。その感謝と誠実さが、作品に表れている。

吉田さんの絵の後に、私宛のメッセージが書かれていたと、申し上げると、

「とても、そんな力はなかったように見えました。とても字を書けるような状態ではなかったですよ。最後のメッセージですね。」

吉田さんが、其の絵を選んで、渡そうとされたのには、吉田さんの思いが込められていたでしょうから、きっと見つけ出します、とおっしゃってくださっていた。この方にとっては、絵画を描くということは、祈りにも似た作業で、思いを人に届けたいという、強いメッセージがあるのだろう。それがあるからこそ、人は、惹きつけられるのだろう。