身体が欲しがるままに

 昨夜も3時間寝ると、パクッと目が覚めてしまった。時計はまだ夜中の4時、外は真っ暗だ。

 朝、早く、息子は飛行機の授業を予約している。一緒に乗らないかと何度も誘ってもらったけれど、断り続けた。断っているうちに、乗りたい欲望が芽生えてくる。

 朝、行く間際に、また、「行かないか」と誘われて、その気になりかけた時、思い出したのは、トイレの心配。時差が違うので、何時もよおすかしれない。飛行中に、お腹が痛くなったら、お手上げだ。やはり辞退。彼は残念そうに、出て行った。

 それから、ガールフレンドと話をして、時間が過ぎた。彼女が仕事に出かけると、ブログを書き込む。眠気が再び襲って来る。

 6ヶ月前に、シェルターからもらってきた猫が、餌をくれと、可愛らしい猫なで声を発していたが、太りすぎなので、餌はまだあげない。甘やかされて、日に6度くらいやっていたとか。

 キッチンのカウンターの上に座って、不満顔でこちらを見ている。手を出すと、咬みにくる。じゃれちえる時とは違って、きつい。怒っている。無視して、シャワーを浴び、コンピューターの前に座る。餌をもらえないと、観念したのか、甘えに転じて、身体を寄せてくる。

  アパートに下は店や

 眠くてもうだめ、ベッドに横たわるが、眠りにつくまでにいかない。猫がやってきて、私の顔に自分の顔を近づけて、すり寄せてくる。猫に引っかかれるのでは、布団をかぶって寝たふりしていると、布団の上に寝そべって、どっしり重い。

 寝付けないままに、息子がそろそろ帰って来る時間。猫に餌をやり、もう少しと布団に入って、うとうとしかかった所に、息子が帰って来た。

今夜は、ステーキの美味しい店に連れて行ってくれると言っていた。電話をしたら、予約が詰まっていた。もう一軒の出店に電話すると、夜8時45分なら、というので、5時のはずが8時45分に。それまでは、お腹が持たないので、何か食べようということになり、韓国料理の店で、仕事に出ているガールフレンドと待ち合わせている。4時半の待ち合わせになり、韓国料理の店で食事したのは5時、夕食の時間だ。

 アパートに帰ると、二人は疲れたからしばらく寝ると言って、ベッドルームに。私は、コーヒーを買いに、マンハッタンまで行くつもりで外に出た。雨が降り始めて、また一段と寒さが厳しくなってきた。

 

 駅まで10分以上も歩く元気はない。隣にあるスーパーに入ると、買うつもりのコーヒーがあった。「上島珈琲を大事に飲んでいた。」コーヒーは、最後の分を飲んでしまった。 日本のコーヒーは、日本食品の店まで行かないと買えない。私が良く使っている、イタリアのラバザを買うことに。幸い、隣の店にあった。日本で買うのと同じ値段。有機野菜のサラダ菜をついでに買った。息子にビールを。真っ白でおおぶりのマッシュルームも。

 アパートに帰ると、彼らはぐっすりと寝ている。私も、ちょっと横になる。今度は寝てしまった。目覚めると、8時40分。 レストランの予約の時間だ。息子に声をかけると、5時食べで、お腹が一杯だから、キャンセルするという。

 そういうこともあろうかと、買っておいた、サラダが役立つだろう。

10時頃になると、お腹が空いたと言いだした。枝豆とミックスサラダを、ビールで。

ヤンキースのプレイオフ戦、松井の応援に力が入る。ニューヨークに来てからはヤンキーズ、ボストン時代は、ボストンに熱狂していた。所変われば、品変わる。

 サラダを食べると、身体の掃除が行き届いたように感じる。食べないと、血管が詰まって、血が通わなくなるような感覚がする。本当は、気のせいだけなのかもしれないのに。野菜嫌いの、中田(サッカー)は、スナック野菜しか食べられない。それでもあのバイタリティーと健康を保持してる。

こうでないといけない、と自己に与えるプレッシャーの方が、身体に悪影響なのだろう。偏食家は、偏食が身体にあっている。動物的感覚で、自分に要求する物を知っているのかも。

 好きな物を食べ、好きな事をして、それに伴う罪悪感や、自己否定を持たなければ、それがもっともベストな選択なのかもしれない。