財があっても使えない

 

母の入院、施設への入居、屋根の外壁の塗り替えなど、忙しくて、私の体チェックは、伸び伸びになっていた。子宮癌検診は、少し遠いけれど、

これもインターネットで調べて、良さそうだと思った所に、年に一度通っている。京大出身で、物静かでとても親切なお医者さん。

 先日、検査をしてもらって、健康保険を忘れていたので、翌日の午前中に、持っていくようになっていた。

近くに、アイアイパークがあるので、母を連れて行ってあげたくなり、翌朝、外出願いを電話でして、母を迎えに行った。天気も良し、母は気分が良くて、鼻歌を歌っている。アイアイパークにある、レストランで、昼食を取るつもりで行ったら、お洒落なレストランはなくなっていて、パンをメインに売る店で、ランチが3種、セルフサービスの店に変わっていた。開店したばかりで、パンが全品100円、随分沢山の人でごった返していた。

 盛りだくさんのランチで、ケーキもパンも食べ切れずに残ったくらい。スープと飲み物、グラタンに、サラダ、鳥と魚料理などついて、好きなミニパンを3つ選んで、700円足らず。

 お腹が大きくなって、植物販売所をぐるりと散歩した。ここは、園芸の道具から植木、花など、揃っていて、隣にある公園も広い。まだ時間が早いので、お墓参りに、母を誘った。母の体調と、時間しだいでと家を出る時に、新しいタオルとお供えに御菓子類は入れていた。母は、入院してから、毎日拝んでいた仏様も、拝むことが出来ないし、お盆にも、お墓参りに行けなかったので、父が寂しがっていないだろうかと心配だった。母はすっかり、お墓のことは忘れていたが、行く道すがら思いだして、(毎月決めて行かないと忘れてしまうわね。)と言いながらも、「お墓にお参りしてもらうなんて、いややわ。」と敬遠したい気持ちもよくわかる。

 広大な墓地は、毎日のように、墓石が増え、どんどん敷地が墓所で広がっている。お墓参りをすませて、まだ2時なので近くに住む、妹に電話すると、留守だった。5時の門限までは時間があるので、私の家で、巨蜂を食べてもらうことに。前日、母に持って行こうと、ぶどうを房から取ってタッパウェアに入れていたものだ。施設では、果物は殆ど出ないので、大好きな巨蜂など、食べさせてもらえない。全員でわけてもらうには、ひと房しかなかった。家に連れて来て、食べてもらうと、母は、美味しそうに、一粒、一粒、確かめるように、食べていた。汚いままにほっていた、台所を、丁寧に洗ってくれた。パリから持ち帰った、コーヒーの豆を挽き、美味しいコーヒーを飲んでもらった。

 母は、現在いるところを、弟に家だと思っている。弟は仕事でいないのだと思っている。

「そろそろ帰りましょうか。門限が5時だから。」

母は、私の家から、弟に家に送って行っていた当時と同じ記憶でいるので、

「もし皆が出かけていて、留守なら、」と気にかける。

母は、場所の把握が出来なくなっている。病院に入院していても、医院にいても、そこがどこかわからない。私の家はよくわかっているし、場所も把握しているが、そこから帰るのは、弟の家だと思い込んでいる。施設に迎えに行き、送って行く時には、いつも弟の家に帰るのだと。

 私が、施設に行くと、母はいつも、「あなた、行かないといけないのでしょう。これからどこかに行くのでしょう。」その言葉が、母の頭から離れない。

家に泊まりに来ると、弟に所に送って行く時に、私はいつも、(コナミに行くから、そのついでだから)と母が気を使わない口実に言った。そういわなければ、車で送っていけないから。一人で電車で帰ると言い張るから。

入院中は、「心配だから、泊まって行きなさい。」と母は言う。「いいえ、コナミに行かないといけないのよ。」「出かける用事があるのよ。」とも。

 美味しそうに、巨蜂を食べている母を見ると、辛い。父が良く言った言葉「財があっても使えない。」母は始末やの父と違って、浪費家だったけれど、衣食住も自由も奪われた生活を余儀なくされている。父が、嘆いていた言葉とは、全く意味の違った所で、母も「財があっても使えない。」