営利か、それとも福祉なのかを問う

 

朝、母を迎えに行った。

とびきりのオシャレをした代表が、出かける所だった。

「あら、早くからお散歩ですか?」という。

 「お電話で、医者の日なので、迎えに行くと言いましたでしょ。」

「あなた怒ってらしたわね。電話では話がだめですわ。」と言い、

母の性格が良い事を褒めだした。「私が仕事してると、お手伝いしましょうかと言ってくる。

お仕事沢山あって、大変ですね。あなたがお母さんを好きなのよくわかります。」

「いちど、じっくりお伺いしたいと思っている事がありまます。」と言うと、

 「私は忙しいから、手短に,まとめてくださいね。」と言い、書面にして質問すれば、職員会議にかけて

答えますから、と。

またヒステリックになってきた。

「他のグループホームをいくつか見学しましたが、こことは随分違います。」

「気にいらいなら、どうぞ、他に行って下さい。」

「どこも空いてないですから。」

「不動産屋がやっている所に行ったらいいですわ。」

この話は入居まえに聞いている。不動産屋がやっている。食事は仕出しを取ってます、うちでは自分達できちっと作ってます、と。

比べる所は、彼女に取っては、不動産屋経営のグループホームなのだ。空いているのは、そういう所か、ここだけだろう。

「連れて帰ってください。」ヒステリーが始まった。

グループホームでは、入居者が、主体なのではないのですか。

トップダウンでやってるような感じがしますが。」

彼女は当然そうだと言う。教育するのだから、当然だと言う。

「あなたはすぐにけんか腰になられるのはどうかと思います。」

私もひるまない。煩い家族でけっこうだ。

「話を聞いてもらえるからと、皆さん、喜んでおわれますよ。文句を言うのはあなただけです。妹さんが、姉がたびたび来て何か言うかもしれませんと。他の方たちは、何も言いませんよ。」という。

徘徊, おしっこの不始末、凶暴、垂れ流し、自傷行為、など、山と聞かされている。ここはだれでも、受け入れているのだから、ありがたい人もいるだろう。

それはそうに違いない。面会に滅多に来ないのだから。「おまかせします。」の後に、「文句は言いませんから。」という言葉が隠されている。

そのことをよくわかっている代表は、自分のやり方に文句があるのなら、引き取ってください、と言うのだろう。

家族を開放してあげて、感謝されている、という奢り。死ぬまで面倒みてくれ、その上、引き取らない家族まであると、得意げに言っていたのを思い出す。

実際、預ける方が、弱い立場になっている。が、それではおかしい。認知症患者の人間としての尊厳を大切にして、その人が人間らしく生きられるように、普通の生活が出来るように、そのお手伝いをすることと、地域の人達との社会性としての交流を広げ、効果的とおもわれる療法や活動を活発に行うのが、本来、グループホームの在り方なのだ。が、現実には、グループホームの質の格差は大きい。ピン切りだ。

グループホームは、家賃、食費、光熱費に、維持費などは、好きに取れるが、介護費が、介護度によって少し違うが、日に、9000円ほど、国から支払われる。受益者の負担は、10分の1の900円、つまり、月に三十万円ほど、経費を別に支払っている。

サービスを受けるものは、サービスのよりよいものを要求する権利がある、改善を求める権利があると、規定されている。5人から9人までが、一つのグループであることが法律で義務ずけられている。「うちのやりかた」では通らない。