男の料理教室

 

「さぬきうどんを送ってきたから、今度の木曜日に来ない?うどんパーティーをやるのよ。会費は千円で、ビール飲み放題。」

グループホームの代表者が、お風呂上がりのすっぴんで声をかけてくれた。彼女のお化粧をした顔しか見たことなかったが、すっぴんの方がずっと美人だ。

 さぬきうどんと聞くと、四国で食べた、美味しい、つややかなうどんの喉越しがよみがえる。参加させていただきますと二つ返事で。

いつものように母を見舞って、いったん車を置きに帰り、折り返して、バスに乗ってグループホームに。

一階のホールは、地上からそのまま入るようになっている。6時に行くと、すでに沢山人が集まっていて、うどんすきの準備に女性達はおおわらわ。男の人が多い。テーブルに座って、話をしながら待っている。

代表が、明石の魚棚まで買い出しに行って来たという、あなご、鱧、鳥など。野菜は発泡スチロールの大きな箱に入って、下ごしらえはすんでいた。三つのテーブルにうどん鍋が3つ、それを取り囲んで、男性11人、女性9人くらいの多人数。先日の花日大会とは違って、プライベートな小さな集まりだと聞いていた。

 初老の男達は、「男の料理教室」の生徒さんたちだった。代表は、私を彼女に横の席に誘って、彼らが錚々たるメンバーであると小声で教えてくれた。ある大手企業の現役社長、新聞社の論説委員、大学の教授に、私学の教師とコーチなどとか、あとは覚えていないが、とにかく立派な肩書を持っていた、今も持っている人達らしい。女性達は、「ヘルパー養成所」の卒業生で、代表が仕事に誘った人達。80歳近い女性もいた。

 「男達の料理教室」がテレビで取り上げられていたのをみたことがある。家では粗大ごみ扱いされ、年がいってから、役に立たないといけないからと、料理を習い始める男たちが多いと。

 彼らは、実に楽しそう。料理教室に来ると、料理を作る前に、飲み始める人もいるという。料理を覚えるのが目的ではなく、来て、楽しんでストレスを解消する場、男達のサロン、男達の居場所なのだ。

 論説委員だったという男性は、去年奥さんを亡くして、一人になった。大原麗子と同じようになると、恐怖感に襲われている。奥さんを粗末にしたという後悔で自責の念にも。

私的パーティーではつきものの、自己紹介が終わると、向かいのテーブルに座っている、陽気な老人が、私の名前が珍しいと聞いてきた。

村上水軍の末裔ではないかと、父が言ってました。広島の海べの小さな集落で、元は桐井という名前だったが、小作だった、その村の人達が名前をつける事を許されて、全員が同じ名前にした時に、一緒の名前に変えたとか。平家の落ち武者だったらしいけれど、あのあたりは、村上水軍が随分沢山いたとか。ひい爺さんは、ものすごく背が高く、赤毛のちじれ毛だったそうですよ。」

父から生前、何度の聞かされた話だ。私の中に、海好きのDNAが存在する。海辺で育ったわけではないのに、海辺でぼっと座って、水平線のかなたを、どこか望郷の念にかられながら、眺めている。私の故郷は、日本ではないと感じることも。

ひょっとしたら、本当に村上水軍の末裔かも。

 グループホームに母が入所したのが縁で、こんな「男達の料理教室」の実態を垣間見せてもらった。彼らは生き生きとしている。実に楽しそうである。

 昨夜寝てないのよ、と言っていた代表は、男達に順番に肩を揉ませていたが、私達が片づけを始める頃には、座ったままの姿勢で寝ている。客が順次帰って行く。私も片づけがすんだので、帰る。職員と一部の人が残っている。代表はまだ眠ったまま。