母は歌わなくなった。

毎日、母に面会に行く。母は窓の外を眺めている。入居者達と同じテーブルに座っていても、話が出来るわけではない。

「おかしい人達ばかりだわ。」と母は言う。頭のおかしい年寄りばかりだと母はわかっている。話をしても聞いてくれる人はいない。

帰って来る言葉は、母の期待したものとは違う。皆、それそれの世界にいて、それぞれの頭の中の世界を話す。

母は歌を歌わなくなった。病院では毎日、あれほど歌っていた歌を、忘れてしまったのだろうか。私の顔を見ながら、にこやかに頷きながら歌っていた歌。

歌を歌わないの? 私は尋ねる。

歌なんか歌わないわ。母は答える。

あんなに良く歌っていたじゃないの。私が云う

そうね。良く歌っていたのにね。歌わなくなったの。 母に表情が乏しくなっている。

昨日、医者に連れて行った。母の手は熱があるように、ポッと熱い。病院でもそうだったし、ずっと以前から、微熱があるように感じていた。

まだ、炎症があるのだろう。医院で

10分で出る血液検査の結果、CRPは、1以下になっている。機械によって、随分データーが違うのだろうか。1週間前には、3、2だった。体重は1キロ以上減少している。

「ほんの少ししか出てこない。」という食事のせいで、体重が減少した。病院では、冷蔵庫にいれてあるものは、翌日にすっかりなくなっていた。

食べたかどうかがわからなくて、薬のせいで食欲が湧くので、いくらでも食べられる。

グループホームに来てからは、他の人達と同じだけしか食べていない。どの人もスマートで痩せている。肥えているのは、職員だけだ。食事を作ってくれるおばさん、介護ヘルパー、代表者も皆、結構太っている。

運動しないから、老人達は、少ししか食べないのか、健康にはその程度で丁度良いのか、痩せて細い老人ばかり。

母にもう少し自由があってもよいと思うが、冷蔵庫の中の管理が出来ないのだから、この方が身体には良いのだとも思う。

身体は調子よくなっても、認知症が良くなるわけではないだろう。

毎日、朝になると母はお化粧をして、よそ行きの洋服を着て、箪笥の中のものをすべて袋に詰めて、出ていけるように準備してしている。

一昨日も、昨日も、おでかけようの洋服を着て、ハンドバッグを持って座っていた。口紅をさして。

今日は、ハンドバッグの中を真剣に探していた。財布がどこにいったのかと、何度も何度も探している。

「今日はすしろうに行ったんでしょ。」と聞いた。誰に聞いても、行っていないと答える。母も「あら、忘れたわ。行ったのかどうかわからない。」

先日、職員が「すしろうに連れていきます。」と行っていたので、すしの好きな母は、「すしろう」でも喜んだろう。

 誰も、そこに行ったのか、何を食べたのか、まったく覚えていない。

最近、表情のなかった人が、笑いかけると、うっすらと笑みを浮かべるようになった。

私への警戒が少し取れたのかしら。

母の表情に豊かさが消えて行くのが心配だ。