吉田画伯の最後のメッセージ

 

 吉田さんの娘さんが、吉田さんの絵を送ってくださった。

この1月に、友人が吉田さんを訪ねた時に、預かるはずであった

絵、私が4月に来るからその時に渡すとおっしゃっていたという。

パリのアパートのどこかにあるはずの絵だった。

私宛の名前がかかれていた、と友人が言っていたので、吉田さんの作品をかたづける

御手伝いをしておられる方に、それとなく聞いてみた。探してあれば、知らせてくださるという

ことだったが、見た事ないですね、とのこと。

 頂かなくても、吉田さんが、私にどんな絵を選んでくださっていたのだろう、せめて見たいと

思っていた。それが最後のメッセージだから。

 娘さんのお手紙によると、吉田さんが、東京に来られた時に、鞄の中に入れて持ってこられていて、

鞄の中から出てきたものだとの事、絵の裏側に、吉田さんのメッセージが書かれている。

 きっと、東京で会えたら、と思って持って来てくださっていたに違いない。

御見舞いに伺うのが遅かったことが、あらためて悔やまれた。お電話した日、火葬の日だった。

吉田さんは、最後まで、お元気に話されていて、ご自分が癌だとは、最後まで信じておられなかった。

吉田さんと親しい方が、パリの病院に、強引に連れていかれた時、タクシーを呼ぶのを拒否されて、バスで行くと

言い張っておられたけれど、体力は残っていなかったので、従われたという。病院で、癌ではない、と診断されたので、

日本に帰って、養生することにした。だから、東京の病院で、癌だと言われても、そうではない、と信じておられたという。

腸が詰まって、食べられなかったので、痛みは軽減されていたとのことで、亡くなる前日も、見舞いにきた親戚の方と話をされていた。

御見舞から帰ると、亡くなったという知らせで、そのまま、また東京に舞い戻られたぐらいだったと電話で伺った。

 いただいた絵は、今まで私が持っている絵とは少し違っているように思われる。やわらかな色合いで、観音様をイメージするような、

絵画だと、私には映る。

 お正月の挨拶が冒頭に書かれていたので、そういう絵を選ばれたのだろうか。太陽とも、光り輝く,おおらかな円の下に、頭を出しているもうひとつの円とも、山とも、後光とも、雲とも、調和の取れた、安定した形。明るい、燃えるように輝く絵。

朝夕、般若心経を唱え、三尊からなる、仏像に手を合わせて祈っておられた、吉田さんを明るく照らす、後光のような絵画が、吉田さんの最後のメッセージとして、私に届けられた。

 改めて、吉田画伯のご冥福をお祈りさせていただきます。