身体の痛みと心の痛み

 

 「おだやかな方ですね。以前からこんなにおだかやな人だったんですか?」

研修生の承諾書を持って来た、看護婦養成の先生が言われた。

 「そうです。母は以前はもっと。少し自分の感情を出すようになったぐらいです。」

人への気遣いは、看護士にも、誰にでも向けられる。

「ここに座ってください。」と立って話をする看護師や介護士に気を遣う。

点滴の針を入れる時に、看護婦が「ごめんね。もう一度入れ直すの。我慢してね。」と言うと、母は、丸い目を天井の方に向けて、声を出さずにおとなしく我慢している。

看護婦は、「そんなに」我慢しないで。痛いと叫んで良いのよ。そんなに我慢しないで良いのよ。」と母に言う。

「我慢強い人ですね。」と言うので、

「私なら、針を刺す前から、痛いと叫ぶわ。」と返事をすると、

「そんな風だとよくわかる。」と言われた。実際、母が針を刺されるのを見ていられないので、いつも目をそらして、身体に痛みが走る。

「私なら、絶対に病院に入らない。」と言ったら、

「えらい、覚悟ですね。」と言われた。たいしたものだ、と思っている。そうだろう。

我慢しきれずに病院に駆け込んだり、心配が先に立って、病院に行く。それを拒める人間は、死ぬ覚悟の出来た人であり、何事にも動じない、度胸が要求される。

「多分、痛さに我慢できないでしょうね。」と私は言い直した。

以前に、手術した時に、「二度と手術はごめんだ。」と思った。その思いは3年間変わらなかった。今は、その辛さを忘れている。どんなにひどい思いをしたのか、思いだせない。 不思議なもの。身体の痛みは、忘れられる。精神的な痛みは、なかなか忘れられない。昔、心に傷ついた言葉は、心につきさったまま、癒されることはない。

身体で払うものは、身体の回復と共に、消えて行くことが出来るが、心の痛みは、消えることはない。許すか、許せないか、水に流すか、流せないか、それだけだ。