菅谷さんの冤罪

足利事件で、DNA鑑定の結果、犯人と断定され、無期懲役が、確定して17年間もの長い間、刑務所の中で服役していた、菅谷和利さんが、刑務所から釈放された。再審を待たずに、釈放を決めたのは、未だかつてない異例の検察による決断だ。検察の完全敗訴を認めたからだとか。

 菅谷さんは、すでに62歳、私の人生を返してほしい、と訴えても、失われた時間は、永久に取り戻すことが出来ない。検察と警察に謝ってほしい、と言っても、謝られて、赦せるわけはない。覚えのない罪で逮捕され、検察官のあまりに厳しい取り調べ、暴力、犯人だと最初から決めつけられ、菅谷さんはついに、自分がやりました、と嘘の自白をした。楽になりたい、という一心だった。

 菅谷さんのように、強迫的に「嘘の自白」をして、冤罪の服役を余儀なくされた人、死罪になった人は、おそらく沢山いるに違いない。

菅谷さんは、これから残された人生を、冤罪で苦しんでいる人達の救済の為に戦う、と述べている。菅谷さんは、検察や警察官による、行き過ぎた、暴力、圧力、権力の不当行使の証人だ。

 政府は、菅谷さんに対して、自由と賠償金という形でしか、償う事が出来ないけれど、麻生首相の「こんなことはあってはいけない。」という白々しい言葉ですまされるものではない。

 小沢さんの秘書が、検察の権力行使によって、小沢を失脚させる目的で逮捕されたことは、これは民主主義の重大な危機である、と元検事の郷原さんは明言している。

 権力を持つものは、それを片手に取って、振り回すことは簡単に出来る。出来るのだから、権力を使わないというのが、民主主義の鉄則のはずである。警察官は、市民を守る公僕であり、検察官は、正義を貫くための公僕である。政治家は、国民の暮らしと未来を守るための公僕である。

 麻生総理も、政治家であるならば、国の最高責任者として、まず、深く詫びなければならない。そして、菅谷さんのように、冤罪に苦しんでいる受刑者を一刻も早く救済出来るように、今後冤罪を作らないように、三権が一丸となって、取り組む所存であると、公約しなければならない。

それがあって、初めて、菅谷さんが、これまで背負ってきた苦しい17年間の「代償と意義」が存在しうると私は思う。