母は気を遣いすぎる人

 

翌朝、病院に行くと、食事の量を書き込む紙に、朝食、ゼロと書いている。母に聞きと、「どうぞお食べください、と言われなかったので、誰のものかわからなかったから。」という。母は点滴中。ミルクとバームクーヘンを買いに行き、昨日、整形外科に引率してもらった看護婦に出会った。彼女は、患者を決めずに全体の足りない部分を受け持っている。堺から2時間かけて車で通っている。母に、食べるように言って欲しいと使わると、しばらくして別の看護婦が部屋に来て、「食べましょう、と言ってもいらないと断わられたので。」とのこと。朝はミルク、バナナ、3分粥というメニューで、ミルクとお粥だけは食べてもらっていた。「捨ててしまわれるわよ。」というと、母は怒って、「そんなことをするなんて、食べられない人がいるのに。」と憤慨して食べ始める。買ってきたミルクとバームクーヘンを少し食べてもらった。母が手を動かすと、点滴が止まるので、手を広げてもらおうとすると、痛がる。今朝はまた微熱が出た。食事と点滴で熱は下がり始めた。昼食まで、点滴が止まらないように見張っていたが、昼食時には、どうしても手を動かすので、止まっている。

 

母は食べることよりも話に夢中で、何十回と聞かされている、沖縄の渡嘉敷先生の話を始めた。

私はうなずきながら、買っていたお弁当を黙々と食べる。すると母は、

「ああそうなの?へえーそうなの?とか返事をすると、可愛いわね、と思うけど」と不満を言う。私がいつも母の話を聞き、初めて聞くふりをしてあいづちを打つけど、それがないので、不満なのだ。

「ご飯を食べてから、話を聞きたいわ。」と言うと、母は食べ始めた。やはり3分がゆと、白身魚、ホウレンソウと豆腐のいり卵、主食は8割、副食5割くらい食べた。

点滴の針に血がにじんでいる。午前中、母は盛んに、何故このような点滴をすることになったのか合点がいかない。早くここを出て行きたい。こんな所はごめんだ、と憤慨していた。それにはわけがあって、手が相当痛かったのだ。漏れていて、引きちぎる人もいますと針を抜いてくれた看護婦が言う。午後の心臓エコーの検査があるので、それが終わってからにしましょうと言われた。車椅子で迎えに来たのは、若くてハンサムな看護士さん。優しくて、エレベーターの中に映る鏡の母の顔を映して、やさしく白髪をなでて髪を整えてくれている。母は嬉しそうだ。

 芦屋市民病院には、介護士が女性と混じって働いている。どの人もハンサムで、やさしくて、丁寧で親切だ。母はその点に関しては満足している。「看護婦さんの方が男みたい。男の人の方がかわいらしくて、女性的。この頃は逆転していますね。」と大きな声で言うので、きっと出て行ったばかりの看護婦さんに聞こえているだろう。

午後、再び、点滴の針を刺しにきた看護婦さんが、動かしても良い場所を選びますから、少し我慢してくださいね、と母を説得しながら、上手に入れてくれた。前のは、入れ方も場所も悪かったらしい。看護婦の技量によって差があるから、なんでも良いと思う人と、あと先考えて入れる人とで、患者の負担は随分変わるとうことがわかった。

 医者が入ってきて、「食べれば点滴をやめてもいいですよ。食べられるようになれば、内臓は問題ないので、帰ってもいいですが。」と言われる。

「あとは今飲んでいる薬を一日2錠にして、しっかり水分と食事を取れれば.」「心臓のエコーでも異常はないですから。」

歩いたりするようにしてください。そうすればお腹がすきますから、と言われて、点滴が終わると、母と一緒に廊下を歩いた。それが良かったのかどうかはわからないけれど、夕食は全て、残さず食べた。

 母は、私と向いあって、話ながら食べると、知らぬ間に食べている。「捨てはるわよ。」というとしっかり食べてくれる。水分の補給は、絶えず少しずつでも飲んでもらわなければならない点滴は500CCある。3分がゆはほとんど水分。あとはお茶とお水、三度の薬と一緒に飲むだけでも補給になる。病院で、せっかく元気になっても、また水分を取らず、食事もとらずに、寝てばかりいると、再び、病院に、ということを繰り返すことになるだろう。

今夜の母は機嫌がよかった。

「こうしてあなたと一緒に食べることなんか、滅多にないわね。」

昨日も、その前もすっと母と一緒に食事をしているのに、それは覚えていない。家に来ている日々のことも全く記憶から消えている。

弟のお嫁さんの体の事が心配で、帰ってあげないと、そればかり繰り返す。弟の事を心配している。ご馳走を食べすぎてお腹が痛いと言っていたのが気になっている。帰るのが遅いので心配する。友達が多いので、断れないからかわいそうだ、と言う。妹には、忙しくて、遠いからわざわざ来てもらわない方が、気が楽だ、と気遣う。

 夕食の前に抗生物質の点滴がすみ、母は歯も磨いて、寝る用意も始めた。私に、「まだ仕事があるの?私は寝られるかしら。寝てしまったらわからないから。」と言うので、早めに帰ろうと思ったら、母は私が病院に泊まるつもりで、気を利かしてそう言っていたらしい。帰るのなら、早いうちに、と気を遣う。あぶないから、心配だ、と。

私の方は、今帰れば、駐車料金が100円少なくてすむから、というケチな理由だけなのだが。あわてて駐車場に走ると、何分か遅く、100円余分に支払わねばならなかった。これならあと1時間、そばにいれば良かった、と悔やまれた。母の寂しそうな姿を心に描きながら、車を走らせた。