吉田画伯の御葬儀

 

アパートに着くと、この前ここを後にしたままの状態なので、帰って来たような気分。下のスーパーが開いている時間なので、飲み物などを買い、調理のいらないチーズと生ハム、洗わずに使えるサラダを買った。

吉田さんのアパートに電話をして、明日の段取りなどを聞く。私が日本から送ったお花も届いていた。吉田さんの身近で一番親密にお世話をしていた方が、アパートに滞在しておられる。明日のお葬式は、その人が中心になって行われるようだ。

友人から、お花を頼まれていることを告げた。翌朝、朝市で、30ユーロで、と 頼むと、随分沢山の花束が出来た。色とりどりの豪華なブーケ。私がインターネットで注文したのはずっと高かったのに、内容は、こちらの方が遙かに良さそう。

 友人から依頼のブーケ

お墓に行くと、途中で、昨夜電話で話した方が歩いてこられる。忙しそう。

「お墓はご存じですね。皆さん集まっておられます。」と言われて、早めに来て良かった、とほっとする。

お墓の前に、吉田さんのリビングにかけてあった、大きなブルーと金の絵画が置かれ、その前に、にこやかに笑っている吉田さんのお写真が。お墓の上にお花が飾られ、私が注文したお花も、アパートから持って来てくださっていた。友人からだ、とお花をお渡ししたのが、一番華やか。

 

吉田さんの娘さんに紹介された。とても気さくで、感じの良い方だ。以前に吉田さとご一緒させてもらった、篠原ご夫婦が、このお葬式のオーガナイズをされていた。吉田さんのアパートの整理もされている。吉田さんが、毎朝、唱えておられた、般若心経のコピーを渡され、カセットで流しながら、皆でそれを唱える。吉田さんの紹介を、日本語とフランス語で紹介され、その後に、何人かの親しく交際された方がたのスピーチ、最後に親族代表のスピーチが終わると、日本の懐かしい音楽をBGMにして、流しながら、献花でお別れは終わった。

 その後、吉田さんが、とても懇意にしておられた、ムフタールにある、ギリシャ料理の店で、食事会。私は娘さんと一緒にタクシーに乗せていただき、食事では隣の席に、と言ってくださって、とても細やかな気遣いをしていただいた。オーストラリアから、ロンドンのオクトーバーギャラリーから、アメリカや日本から、吉田さんの葬儀に来られていた。

吉田さんの数かずの大きな個展をオーガナイズされてきた方が、パリの大きな作品の管理をされ、これからの個展などを通じて、世界に吉田さんの絵画を紹介される。日本に持ち帰った作品は、甥御さんの元に良好な形で保存され、今後の個展なども計画される。

吉田さんの絵画のパートナーとして、大きな個展を手がけてきた方が音楽に合わせて踊られる。見事は踊りぶりは、彼がダンサーで、俳優だったこともあるからだった。ロンドンギャラーのオーナーの女性は、素敵な美人で、彼女も誘われて踊る。アコーディオンの演奏があり、陽気で楽しいパーティーだった。奥様が亡くなられた時に、この店を使ったから、同じ店にしたと娘さんがおっしゃった。その時は夜だったので、一晩中のお酒さわぎで、悲しかったと。お酒好きの吉田さんだから、酔いつぶれなければ、辛すぎやのだろう。

吉田さんが、この店はフリーだ、とおっしゃっていたお店で、お話に伺っていた所。吉田さんは、日本から来る人達を、親身にお世話されてきた。スピーチにたたれた、力蔵さんという画家は、初めてパリに来て、迎えられ、すき焼きを準備して待ってくださっていた。その後何年か、親子のように、3人でアパートに暮らしていたと言われた。絵を吉田さんの奥様から学んだ、生き方を吉田さんから学んだ、と。

そういう風にして、パリに吉田さんをつてにやってきた、人達のお世話を随分されてこられた。貧しい生活の中で、食べられない苦学生をいつも食卓に迎えられた。

そういうことはなかなか出来ることではない。

私は、吉田さんの、粗末な暮らしを知っているから、一緒に何度かアパートでお食事をさせてもらっているから、このような豪華な食事をさせてもらっているのは、吉田さんの命を削って,制作されてきた作品と吉田さんの「命」のお陰なのだ思い、時折、辛い思いもよぎった。

 吉田さんの目標は、ほぼ達成された、ことで、その安心感から、体調を崩されたというメッセージがあった。昨年、確かに、吉田さんは、精力的に絵画を描かれるようになった。しばらくは絵を描かれなかった時期があった。一昨年と昨年は、忙しくなり、アトリエに終日立たれて、腰が痛むとおっしゃっていた。最後に命を燃焼させるように、輝く時期を迎えられて、そして奥様の眠るお墓に安眠された。

お墓にお供すると、吉田さんはおっしゃっていた。

 あちらでもこちらでも、お墓の住人達がやがやと話をしている声が聞こえる、と。吉田さん自身も、奥さまとの会話をなさるそうで、時には、奥さまからお説教もされ、心配もされる。

 蒼く晴れ渡った空、という墓碑のように、葬儀は、蒼空の元で、真夏の太陽のように、暑い日に行われた。きっともう、吉田さんは、奥様とつきることのない会話を楽しんでおられるにちがいない。

 私が、母の結果も悪くなく、前日にチケットを買うことが出来て、そのままパリに来れたのも、吉田さんが招いてくださったのだ、と思う。

 東京で入院されたと聞いていて、すぐにかけつけなかったので、お会いすることが出来なかったことも悔やまれた。思い立ったら、すぐに行動、これからは、あまり気を遣わずに、思いのままに、行動しなければ、時間は待ってくれない、ということも、吉田さんか