パーソン、センタード、ケアー

 

 昨日変えてもらった薬が効いたのか、熱が下がると、母は元気になっている。手も痛がらない。熱の為に、関節が痛むのだろう。36度5分なので、夕方また上がってくるかもしれないが。

 そろそろ帰らないと、と言う言葉が出てくる。毎日、それを口にする。私の仕事のじゃまをしてはいけない、と思っている。それと同時に、弟の事を心配している。母親にとって、息子が一番なのだ。 私が手伝えるのは、母に元気になってもらうことだけで、母の想いは、弟にある。

母は、死ということに敏感になっていて、死にたくない、という気持ちと、もうだめかもしれない、という気持ちが、体調によって変化している。

 老人は孤独感が強くなる。もの忘れがひどくなっていくことへの不安、今まで出来ていた事が、思うように出来なくなっていくことへの焦燥、人に世話をかけることへの気遣い、 厄介をかけているのでは?気の毒だ、という気遣い。

まだ死を身近に感じない人でも、「暇がいけない」考えることが多くなるといけない。ポジティブになるよりも、ネガティブな思考に偏る傾向のある人には、特に。

 お年寄りは、話し相手がなく、さりとて、自分で行動することを制限されると、鬱病化する。鬱病患者に対する、治療が、話を聞くこと、であるのと同様に、老人に元気を取り戻してもらうのは、常に側にいて、話を聞いてあげることなのだが、これが一番疲れること。同じ話を何十回、何百回と、初めて聞くかのように、聞いてあげなければならない。辛抱強く、忍耐強く。そんなことが家族に続くはずはない。精神分析の専門家ではない。四六時中というのは不可能、だから、公的サービスがある。専門的知識を持った、スペシャリストに、ある程度負担をしてもらうことが必要で、デーサービスの仕事は,その部分でも重要なのだ。「パーソン、センタード、ケアー」 患者中心主義、主役は、あくまでも患者さん、お手伝いさせてもらう、という考えから、そういう治療法が、実践されている。