骨董市とモンパルナス墓地

 

 

4月13日は、パック(復活祭)にあたる。学校は1週間の休暇、アメリカでは10日間も休みになる。

 プラスイタリーから、BLANQUITに、特別に骨董市が出た。パリにある、有名な蚤の市では、お目にかかれない、サンルイとバカラのグラスがならんでいて、本物かどうかわからないので、買わなかったけれど、マドレーヌにある、サン、ルイとバカラの店をあとで覗いて、どうも本物ではなかったかと買わないことを後悔した。

 どこかのホテルの名入りの食器が沢山でていたり、これは、観光客目当てというようなものではないように思われた。

 その日は、歩いて行ける所まで歩こう、まずは、ルクサンブルグ公園からサンジェルマン、デ、プレを目指していた。骨董市を通り抜けまっすぐに歩いていくと、吉田さんのお墓がある、モンパツナス墓地に 続いていることがわかった。丁度良かった。息子はお墓参りをするつもりでいたので、吉田さんの導きではなかろうか。蚤の市は、吉田さんのかかさない楽しみだった。音楽譜を熱心に探しておられて、音楽を勉強している、誰誰にあげるのだ、とか、1ユーロくらいで買える掘り出しものを探しておられた。おもしろいものがあるよ、とわくわくしながら、一つの店に止まって、しゃがみこんで、物色されていた。吉田さんのお友達に選んでもらった、サンルイとミネルバ(銀食器)と同じようなのが並んでいた。

 角のお花屋さんで、白い花の鉢をもとめ、いつも入る場所から反対の入口から入った。このあたりの通りであることはわかっている。墓を見ながら歩いていくと、随分長い。

 

 先のはずれに近い所に、吉田さんが入られるお墓があった。どなたかが最近百合の花を捧げられたようだ。以前に花束を持っていって、周りに鉢植えを置かれていたので、今回は鉢を持って行った。 

 3月、まだ寒い頃ばかり伺っていた。桜の花が咲く頃は賑やかできれいだとおっしゃっていた、桜が満開だった。良く晴れた日で、吉田さんの墓碑に刻まれた言葉のように蒼空が広がっていた。

 

 お墓は、それそれの人達の作りたいようなお墓にデザインされ、写真や、彫像、墓石の上が小さなお庭にデザインされているものもある。死んだら、こんなお墓で眠りたい、と願望がお墓を作っている。日本のように、どのお墓も同じように統一され、墓に供える花束も同じ、というのとは、全く違う。明るくて、お墓に入るのも楽しみなような感じに出来ているものが多い。

 お墓を見に来る観光客フアンが多いのは、著名人参りというだけでなく、それぞれの個性が見られ、楽しい場所でもあるだろう。日本のお墓は、あんな場所に入ったら、もうおしまいだという印象を当たえるような、どこか暗さがある。これからは、思い思いに趣向を凝らした、別宅のような雰囲気を求めてもいいだろう。最近、そのデザインをする人が出てきているとは聞いているが。